日本は美しい、か?『図説精読 日本美の再発見: タウトの見た日本』

『図説精読 日本美の再発見: タウトの見た日本』
沢良子編集、ブルーノ・タウト(Bruno Taut)著、篠田英雄訳
概要
目次
はじめに
凡 例
Ⅰ 図説篇
日本建築の基礎 それぞれの要素は良き社会の仲間のように
日本建築の世界的奇蹟 真の建築の精神を見つけるために
伊勢神宮 まるで気高い結晶のように
飛驒から裏日本へ タウト,日本を旅する①
冬の秋田 タウト,日本を旅する②
永遠なるもの――桂離宮 永続し継承されるもの
Ⅱ 精読篇
日本建築の基礎
日本建築の世界的奇蹟
伊勢神宮
飛驒から裏日本へ
冬の秋田
永遠なるもの――桂離宮
増補改訳版あとがき
ブルーノ・タウト氏の思出――初版あとがき
解題 付「桂離宮と小堀遠州」
【解説】ブルーノ・タウト――〈どこにもない場所(ユートピア)〉を求めて
小さな尺度〈ミクロストリア〉の歴史としての『日本美の再発見』
おわりに
関連略年譜
主要関連文献
ナチスが政権を掌握した1933年、ドイツの建築家ブルーノ・タウトは故国を離れて来日。日本滞在中の著作を通じて、その名はいつしか桂離宮に代表される「日本の美」と結びついていった。タウトの眼が捉えたさまざまな日本をその文章とともに追い、綴られた言葉から浮かび上がるタウトの実像を再考する(「BOOK」データベースより)。
タウト・ブルーノ──1880年生まれ。ドイツの建築家。1933年に来日し、仙台、高崎で工芸を指導。36年にトルコに招聘され離日。38年トルコにて歿。
篠田英雄──翻訳家。1897(明治30)年生まれ。東京帝国大学哲学科卒業。1934年にブルーノ・タウトと出会い、以後、タウトの著作の多くを翻訳。岩波文庫のカントの翻訳でも知られている。1989年歿。
沢良子──福島県会津若松市生まれ。早稲田大学大学院文学研究科芸術学(美術史)博士課程単位取得退学。デザイン史・建築史。東京造形大学教授を経て、日本民藝館理事。
以下、紹介と雑感──。
日本は美しい、か?
日本は美しい──。
日本で生まれ育つと、嫌というほど、それを前提とした世界観を教えられるので、いつしか疑問を抱かなくなる。ただ、世界には美しい国や地域がほかにもあるし、そもそも生まれ育ったところは、記憶の中ではより美しくなっていくに違いない。
そして、自分の認識を確かめたくて、日本を美しいと言ってくれる海外の人の声を求めてしまう。この傾向はいまもテレビなどで海外の人による日本再発見といった番組が作られ続けていることでも明らかだろう。
インバウンドによる年間訪日客数は、コロナ禍以前の2019年度(1月から12月)で3188万2049人だった。この実績を忘れられない人も多いことだろう。
美しいからだけで観光客が来る、とは短絡的に考えない方がいいかもしれない。とはいえ、魅力の根底に美があるとしても、不思議ではない。
観光客の多さが「美しさ」の証拠となるかどうかはともかく、いかにも数字で示されると「そうかそうか」とうなずきたくもなる。
では、改めて考えてみよう。
日本の美しさとはなにか?
それに答えがあるとしても、人によってバラツキが生じるのは推測できるだろう。それは「美しさ」には幅があるからだ。かつては醜悪とされたものが、ある時代からは美しくなることもあるように、対象のどこをどう美しいと感じるかは、人や世代によってかなり違う。
90年近く前の1930年代(正確には1933年、昭和8年5月3日から1936年、昭和11年10月15日までの3年4ヵ月)に、日本に滞在していたドイツの建築家、ブルーノ・タウトは日本の工芸に大きな影響を残した。
私はこの頃の日本、大日本帝国政府が、仙台に商工省工芸指導所を置き、滞在中のタウトを招聘して指導を仰いだ点に興味を持った。
商工省工芸指導所は、日本初の国立のデザイン研究所と言える。1940年には東京へ移り、戦後は産業工芸試験所、製品科学研究所、そしていまは国立研究開発法人産業技術総合研究所(AIST、産総研)と続いている(参照:「工芸」 から 「デザイン」 へ工芸指導所から産業工芸試験所へ 松戸市教育委員会 学芸員 森仁史)。その出発点に立ち会ったタウトは、独自の視点で日本の美しさの再発見を試み、多数の写真(ほとんどがピンボケだったらしいが)、スケッチ、そして日記、論文、講演と豊かなアウトプットを残してくれた。
本書『図説精読 日本美の再発見: タウトの見た日本』は、岩波新書『日本美の再発見』(ブルーノ・タウト著、篠田英雄訳)の本文に、注釈、図版を増補している。「Ⅰ 図説篇」は48ページあり、タウトの足跡と日本に投げかけた独自の視点を立体的に知ることができる。
そして本書を読むことで、現代の私達に、新たな視点が得られるように工夫されている。
果たして日本は美しいのか? その美しさとはなにか? それぞれに、少しばかり考えてみるのもいいのではないだろうか。
厳しさと精緻さ
タウトは建築家でありデザイナーでもある。たとえば、『ノースライト』(横山秀夫)で登場する椅子のように、工芸品への功績も多い。
この本では講演録と旅の日記、そして美への探求を楽しむことができる。
日本の美について、とくに建築物については、限り海外から入ってきたものなど「いかもの」(いわばコピー)を排除し、日本のオリジナリティーを見つけようとしていることがわかる。
その結果、伊勢神宮、飛騨高山、桂離宮を題材として取り上げている。
日本文化は、中国や朝鮮半島からの影響を大きく受け、その後には西洋からの影響を大きく受けた。百年近く前のいわゆる戦前戦中の日本でも、すでに多くの文化は、さまざまなコピーとオリジナリティーの混合となっていた。
限られた時間に、日本のオリジナリティーを見つけようとする姿勢が貫かれ、旅の日記でも旅館や風呂などの造りにも同じように厳しい目を向けている。そして当時の日本のいい面を積極的に評価している点も興味深い。
タウトが初めてではない
本書のいい点は、ただタウトを持ち上げるのではなく、時代背景、タウトを利用しようとする力についても触れていて、沢良子による多角的な解説が付せられている。当時(1941年頃)には、タウトが桂離宮を再発見したとして、かなりのバイアスをかけて広められていったようだ。
それはもちろん、あの時代の日本を西洋から来た専門家が認めるというストーリーを、過剰に評価したがる人たちが大勢いたのである。
このため、以前から桂離宮について研究したり評価していた人たちはみなタウトの影に隠れてしまうことになった。
なお、この時代の考えであるとか、日本の美について考えていくのなら、柳宗悦や柳田國男などの考えも参考にしていくといいのかもしれないと感じた。
太平洋戦争は敗戦で終わり、戦後に大日本帝国を悪と位置づける教育や文化活動によって、人の営みとしての当時の日本がぼんやりとしたものになってしまう印象を持つ人も多いだろう。もちろん戦前をすべて肯定することはできないが、だからといってその頃にすでにあった、いまに繋がっている私たちの日常や生活については、こうした文献によって再確認できる。そこに、いまの私たちは、日本の美しさを見つけ出せるかもしれない。あるいは醜さをも。同じものを見て「これがいい」と言う人がいて「だからダメなんだ」という人がいることだろう。
日記で楽しむかつての日本
難しいことはともかくとして、楽しいのは日記だ。本書を、当時の旅行記として楽しむことができる。冒頭の図説に、スケッチや写真がある。それを眺めながら、日記を楽しむのである。
旅の日記には、日々の道中で目にしたもの、日本で旅をすることで感じたことが記録されている。
戦前の日本の雰囲気、それも東京や大阪といった大都市ではなく、地方都市の情景は、いまの私達にとっても新鮮だ。
いろいろな文句を記している点は愉快でさえある。当時のトイレ事情によって臭いの問題が常につきまとっていたこと。夜に大騒ぎをする人たち(軍人らの宴会などだ)。さらには、日本家屋に以前にはよく見られた急な階段についても文句を言っている。
また「弘前の停車場付近は、気持ちのよい点で、また地方的な親しみのある点で、諸他の都市に勝っている。ここで見た岩木山の偉容は、夕陽を受けて秀麗であった」と褒める。
松島で塩釜までモーター・ボートに乗ったときも、おそらくよかれと思って観光的な意味で選択されたのだろうが「わずか四十五分ばかりの行程だのに四円もとられた。遊覧地の遣り方というものは実に不愉快だ、こういうことはやめなければいけない」(P142)と文句をつける。
一方である旅館で銭湯に入って「非常に気持ちよかった。部屋は温かい。厚い蒲団にくるまって寝る。すばらしい睡眠だ」(P146)と上機嫌だったりもする。
秋田・横手でのカマクラや、その中に備える小さな犬や鶴など形をした餅のことや、売られているイカなども細かく描写する。そして夜のカマクラに感動し「冠冕(かんべん、一番すぐれているもの)」と評する。当時、崩れることを警戒してカマクラは天井は雪ではなく竹簀(たけす)をかけていたという。それで図説にあるカマクラが四角いシルエットなのか、とわかる。こうした冬の光景を見て、タウトはクリスマスに思いを馳せる。故国を離れなければならなかった彼の心情が伝わる。
このように、いまの私たちが読んでも「ああ、日本らしい」と思える部分に温かな眼差しを投げかけつつ、同時に「いかもの」と切り捨てる部分もある点で興味は尽きない。
さらにわずかなところで、当時の日本の政情、国際的な政情への不安も読み取ることができる(P159など)。外国人は警察に警戒されていたことも触れている。
読む者それぞれに楽しみを見つけることのできる本だ。とくに、タウトの旅に登場した地域に縁のある人にとっては、親近感と同時に自分たちの知らない異国のようにも見える当時の日本がおもしろいに違いない。
(2022/03/15)
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