「悪意」がいやらしいほど綿々と『グロテスク』(桐野夏生著)

Muse Woman Sculpture Statue  - Devanath / Pixabay

『グロテスク』〈上下〉 (文春文庫)桐野夏生著

実際の事件をヒントに

 そもそもは、筒井康隆の『創作の極意と掟』に出て来た本を読んでみようということで深みにはまった感じのある女性の作家による女性主人公の小説を読む、と考えての一作。

「どぶろっく」じゃありませんが「女、女、女……」の作品です。1997年に成人として日本で生活していた人なら、誰もが知っていて、なおかついろんな意味で衝撃を受けた実際の事件をヒントに、フィクションとして仕立て上げたものです。

 フィクションですがエンタメと軽く言えない重い作品です。このため、文庫で読んでいると上巻を読むのがけっこう苦痛になってきます。また、下巻は調書からはじまるので、さらに抵抗感があって、このあたりで諦めてしまう人もいるんじゃないかと心配になります。

 この作品は、語り、日記、手紙、手記そして先ほど述べた調書などによって、4人の女性とそこに密接に関わる人たちのことを描いており、きわめて古典的な印象さえ受けます。つまりきっちりと作り込まれているのです。
 また、途中でいやになるのは、この作品では徹底して「悪意」がいやらしいほど綿々と綴られているからです。

傍観者の悪意

 姉と妹。どちらもハーフなのですが、妹は天使のように美しい。さらに姉の友人2人。1人は努力すればかならず夢がかなうと信じて努力し続け、実際に一流企業にも入るわけです。しかし……。もう1人は勉強が得意で医学部を目指すほど。そして実際に医者になるのですが……。

 全般的には、傍観者であるはずの姉。読み進めるうちに、この傍観者の悪意というものが、消えていく2人よりも大きくなっていきます。このあたりは、ホラー小説としても読めますね。みごとな表現力です。

 それも、語り口による効果が大きい。ほぼこの姉の語りによって成り立っているのですが、それが「ですます調」。この語感。丁寧で女性らしい柔らかいもの言いなのに、そのはしばしに見え隠れする底知れない悪意。

 だれもが知っている事件がヒントになっていることから、冒頭ですでに誰がそれかはわかりますので、いわゆる謎解きミステリーではありません。それでいて、当初はそのような殺され方をする女性たちがグロテスクなのか、または犯人がグロテスクなのかと読者は先入観を持つのですが、しだいに語り手である姉こそがグロテスクに見えてくるのです。なにもせず、淡々と生きているだけの姉です。それは、まるで先に読んだ『昭和の犬』の女性にも通じるほどなのに、まったく違うのです。

 そして終盤になってようやく、この姉が現実の社会の中で動きを見せます。いよいよ正体を現す。

以下、ネタバレあり……なんとも言えない清涼感

 ところが読者としては、ここで驚くような印象を受けてしまうのです。この姉が自らの欲望に忠実に動きはじめ、実は社会的にはよくない方向へ大きく舵を切ったとたん、なんとも言えない清涼感が漂います。

 これを清涼感と言ってしまうのはいけないのかもしれませんし、それは今度は読者側のグロテスクな心情による幻想なのかもしれません。もちろん、とてつもなく救いのない終わりなので「そっちかよ!」と思いますが、思いつつも、「なるほどなあ」という気持ちにもなるのです。

 結局は、私たちはここに登場してくる女性たちの本当の気持ちはよくわからないままになりますが、キーになる心情を安易に途中で決めつけることをせず、最後に主な語り手である女性が行動に踏み切るところで、私たちにキーとなる、またはトリガーとなる心情を提示した手法は、さすがだと言わざるを得ません。

 ミステリーとして読むとすれば、この最後のところで、ある意味の動機の解明がある、と言えます。「ある意味の」と限定したのは、一般的なミステリーのような「ほらね、これが動機なんだよ」といった種明かしはないからです。種明かしではなく、登場人物が進む方向だけで、それを読者に感じさせるようにしたわけで、このあたりの書き方は、ミステリーといったジャンルにとらわれない文学的な表現になっているのです。

 また、どうしてこのような設定したのかと考えると、著者は1人の女性の中にある要素を複数の女性に分解して表現したのかもしれないと思います。最後の部分を読めば、これが1人の女性の話だと感じるのではないでしょうか。

 さらに上巻がおもしろいけど読むのが苦しいのは、特殊な私立学校の中でのヒエラルキーが大きなテーマになっているからです。

「あたしたちが暮らすこの日本を支配している価値観なのだから」(下巻P228)

 お金持ちで幼稚園から入って、中高と進んできた学生と、中学から入った者、高校から入った者の違い。そして努力だけでは越えられない壁。さらに、見た目の美しさによる決定的なまでの差別(あえて差別と表現してみました)……。そうしたもので、人生は規定されてしまうのか?

 それを乗り越えようとしたときに、うまく乗り越えたり、回避できなかった人はどうなるのか?

 とくに救いが必要とは思えない、社会的には恵まれている側かもしれない人たちには、救いはないのか?

 そんなことを考えさせられます。

 私としては、先の筒井康隆『創作の極意と掟』の「妄想」の項目からはじまった今回の読書の旅が、また振りだしに戻ったようなこのセリフにぶつかってしまいました。

「この世でどうして女だけがうまく生きられないのか、わからないわ」
「簡単よ、妄想を持てないから」(下巻P366)

 実はそんなことはないことは、この著者もまた女性であることを考えると理解できるのですが、妄想の抱き方とその解消方法が男性とは違う面があるかもしれないな、ということは言えるかもしれませんね。でもまあ、そのような心理分析的なところまで踏み込むのは、危険な誤謬となりそうなのでやめておきます。

 もしまだ未読でお読みになるのであれば、なんとしてでも最後まで読まなければ救われないのだということを念頭に置いて、読み進めていただければと思います。

(かきぶろ2015年3月1日、2021年4月2日修正)

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本間 舜久

投稿者プロフィール

小説を書いています。ライターもしています。ペンネームです。
カクヨム

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