『サラバ! 』(西加奈子著)

『サラバ! 』(西加奈子著)
自分の言葉として似合うかどうかは別として、「すてきな本」としか言いようがない。読後にもかなり長い期間、心の中に残り続けるものがある。長編小説なので、これを読み切るとそういうこともあるだろうと思いつつも、それは読む前に予感した以上のものだった。長期休暇のお供に最高の本の一つだ。
なお西加奈子氏はこの作品で第152回直木賞を受賞している(平成26年/2014年下半期)。
ジョン・アーヴィングの『ホテル・ニューハンプシャー』の影響
一人称で語られる家族の物語。そう言ってしまえないところに、この作品のよさがある。
たとえば北杜夫の『楡家の人びと』は、トーマス・マンの『ブッデンブローク家の人々』の影響を受けて書いたという。そしてこの『サラバ!』には、ジョン・アーヴィングの『ホテル・ニューハンプシャー』の影響を受けていることが本文中にもはっきりと書かれている。青島幸男の『人間万事塞翁が丙午』のタイトルそのもが暗示するように、「禍福は糾える縄の如し」の物語は、誰かの半生を語る場合も、家族を語る場合にもあてはまるものだろう。
『サラバ! 』は、こうした点で物語の王道とも言えるストーリーを軸にして、ユーモアをまじえて語り尽くしていくわけで、それはともすれば、「朝ドラ」的なドラマにも見える。
だが、それだけではない。
物語は、過去と現在、そして未来をつないでいく。
すべての物語を書く人、創作をしている人が一読しておきたい作品。
以下、ある意味のネタバレなので、未読の方は読まない方がいいかもしれない。
以下、ネタバレぎみの感想
この作品の優れているところは、上下2巻のうち、下巻の途中からの展開に現れる(本稿は単行本を読んでのもの)。これは朝ドラでは絶対にない展開であり、だからこそ、「すてきな本」となり得たと思う。
物語としてはじまったこの作品は下巻の途中から私小説になっていくのである。これは、物語の宿命とも言うべき、拡散、拡張していく世界がしだいに手に負えなくなって、個に収斂していくのとは違う。最初から計算されていたかのように、ミクロの世界へ入り込んでいく。
これは、ナイル川で見た巨大な魚なのだ。あれが幻ではないのと同じように、彼の身にもそれは起こる。
一人称で描かれているのだから、最後はそうなるだろうと思うものの、物語のベクトルとしてはなかなか、そっちに振り切ることは難しいはず。それを、ムリなく難なくやってしまう。傍観者だったはずの語り手が、主役になっていく。このゾクゾクする瞬間を、ぜひ味わってほしいものだ。
そしてこの「個」のために、これまで勝手に動き回っていた粒子(ユニークな登場人物たち)が、すべてムダなく、太陽の引力にほどよく捕らわれた惑星のように、しっかりとコミットしていく。この構成のすばらしさ。
おそらく多くの人が「そうなるだろう」とか「早くそうなれ」と思いながら読んでいる場面に突き進むのだが、その描き方の巧みさ。過去の記憶、いわば幻のような世界へ、主人公は戻っていく。ところが、もちろん、世の中は主人公と同様に進んでおり、その大切な世界も極めて現実的なのだ。
ループしていく物語
では、この現実に幻滅するのだろうか?
そうではなく、この現実こそがすばらしい。嫌なこともいっぱいあるし、面倒なこともたくさんあるし、どうでもいいことも腐るほどある現実だけども、その中で生きている者こそがすばらしい。
こうして、この物語はきちんと役目を終えて、出発点に戻る。ループしていくのである。それも、輪廻転生的な意味ではない。「再生」という言葉がふさわしいかもしれないが、原点に戻って、もう一度、繰り返す。なぞる。それは、通常は、1人の人間がやることではないかもしれない。世代で引き継ぐものかもしれない。それを自分自身で生きている間に可能にするための方法をこの本は示している。
そう、小説を書くことである。
作品を書くことで、私たちは2度でも3度でも生きることができる。それは自身の再生であり、同時になにか自分自身でもよくわからないものを昇華させていくことかもしれない。
この本を読んで勇気を得た人たちが、さらに新しい物語に取り組んでいくとすれば、それも私は読んでみたいと思う。『サラバ!』の影響を受けた作品がいずれ出てくることを期待しよう。こうした未来にもつながる物語である点も含めて「すてきな本」なのだ。
(以上、初出「かきぶろ」2015年11月16日)
長編だから楽しい
読み始める前に躊躇するほどの迫力ある長編小説。ですが、同時に、読み始めてしまうとずっと気になってしまう作品。まるで読んでいる間、一緒に生活しているかのような一体感。知り合いのように思える登場人物(主役とは限りません)。ワクワクしつつも、もうすぐ終わってしまうと、しだに読み終わるのが惜しくなっていくこともよくあることだ。
この作品はそもそも、ナイル河というメタファーが最初から登場しているので、大きな河の流れのように堂々と結末に進んでいく物語である。それでいて、河口に向かっているのかと思えば、実は源流に遡っているのではないかと思える部分もある。収束していくのか、内面に向かって大きく開けていくのか。それが成長というものだろうか。
私たちは登場人物と長い旅をして、ようやくその光景を目にすることができる。この感慨は、長編ならではの醍醐味である。
また家族の物語は、その境遇や時代背景への興味もさることながら、普遍的な人間の生き方について、いまどんな状況にある読者にもそれぞれに感じるものを残してくれる点でオススメと言える。家族は集団でありながら、人間はそれぞれ孤独でもある。個と集団の関係の中で、どのように生きて行くべきか。どんな判断もそれぞれに間違いでありそれぞれに正しい。完全無欠の正しいだけの選択肢はない。あると思っても、いずれそれが間違いであることに気づく。その反対に、後悔し続けることになる失敗は、人生にどんなプラスをもたらすのか。マイナスのまま浮上することなく終わるのか。ゼロにすることもできないのか。
そうしたことを自分に置き換えて考えさせてくれる。だから文中の誰かの言葉が、妙に刺さるのだ。それも人それぞれだろう。
今回、上記の感想で、引用をまったくしなかったのは、私にとっても刺さる言葉やセリフがかなりあったものの、それはやはり読者自身のものであるのだろうと思ったからだ。あえて、ここでは引用はなし、ということにした。そうした言葉との出会いも長い旅の楽しみなのである。
下記に関連の書籍も紹介したが、いずれも長編だ。挑戦しがいのあるボリュームだろう。
文庫で3巻になった
ハードカバーで上下2巻でしたが、文庫では3巻になりました。プレゼントにも最適です。
長い休暇にいっき読みできることでしょう。
もちろん、バラバラに購入していくのも、楽しいですね。
関連の作品
影響を受けたというジョン・アーヴィングの『ホテル・ニューハンプシャー』。
こちらもまだ電子化されていませんね。
ホテルをつくりたいと夢みる父親とその家族の物語。
映画化もされています。
引き合いに出した北杜夫『楡家の人々』 文庫で3巻。電子版もあります。
この作品は暗い時代背景を実にみごとに描いています。それを「暗さ」で描くことなく、「明るさ」で描くのです。
北杜夫氏は「どくとるマンボウ」の軽妙洒脱なエッセーで大人気となった作家ですが、この作品でも抑えめながらもしっかりユーモアが描かれています。
その北杜夫に大きな影響を与えたトーマス・マンの『ブッデンブローク家の人々』。
トーマス・マンは1929年にノーベル文学賞を受賞しています。
こちらもしっかり長編ですね。
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