さまざまな読み方ができる作品『奈落』(古市憲寿著)

さまざまな読み方ができる作品
音楽、言葉、ホラー、時代、家族、未来、人生、成長、死生観などなど、さまざまな読み方ができる作品です。エンタメ小説として軽く読むのもよし、「社会学者が書いているのだから」と深読みするのもよし。心に、そして頭の片隅に残り続ける作品。
まだ読んでいない人への紹介
ホラー小説かと思ったのだが……
テレビでもお馴染みの社会学者・古市憲寿による3冊目の小説。2019年12月に出版されました。これまでの2作は芥川賞候補にもなりました。「本気で小説を書いている」と新潮社の中瀬ゆかり出版部部長も著者の姿勢を強調していたのでこれからも書き続けていくのだと期待されています。
今回、本書を読もうと思ったのは、シチュエーションに興味を持ったからでした。「17年前の夏、人気絶頂の歌手・香織はステージから落ち、すべてを失った。」と本の紹介にもあるのですが、意思表示できないほどのダメージを受けたままベッドで生きながらえている彼女の視点から描かれています。
しかも、彼女を看病する母親、姉ともに彼女は大嫌いな存在で、だからこそ自立して家を出て活躍をしていたのです。
意思表示できない、動けない、この状態で果たして彼女はなにを見て、なにを感じたのでしょう。
その意味で、私はエンターテインメント性の高い作品ではないか、スティーヴン・キング的な作品ではないかとの思い込みで読み始めました。
彼女の17年は私たちの17年
柔らかな筆致で、淡々と進んで行く彼女の語り。ときどき母親など他者の視点からの気持ちがはさまります。
2000年以降の日本の変化、音楽業界、人の気持ちの変化。さらに主人公を置いて他者はみなどんどん年を取っていき、考え方も変わっていきます。
私たちは、彼女と一緒にもどかしさを感じながら、いったいどうなってしまうのだろうと思いながら読み進めることになります。つまり、彼女の17年は私たちの17年でもあるのです。
読後、最初に感じたのは思ったのとは違うなあ、という感覚でした。エンタメ小説ではないかもしれない。なにかあるけど掴めないもどかしさ。
私の場合、読後すぐは「もうこの著者の作品は読まないかも」でした。ですが、読み終えてから、ずっと彼女のことが頭から離れません。正直、彼女に共感することはあまりないのですが(世代も境遇も違い過ぎますし、悪口や辛辣な見方はおもしろくもあり、面倒臭くもありましたので)、それでも彼女はいったい何だったのか、と思わざるを得なかったのです。
それはもしもこうしたシチュエーションで生きるとすれば、どうなってしまうのだろう、という本の読み出し時の感覚とはかなり違うものです。もっと根源的に「この本ってなんだろう」「どうしてこういう結末なのだろう」などなど、本書の存在そのものへの疑問であり、尽きない興味なのです。
この点で、本書はまぎれもなくいい本です。「読んだ、おもしろかった!」もいいのですが、この作品のように、その後にズルズルと引きずりながら、あーでもない、こーでもない、と考えたりするのがまた、いい本の特徴だと私は考えるからです。
その意味で、カタルシスを比較的手軽に感じられるタイプのエンタメ小説ではありません。その点はこれから読まれるなら、少しだけ頭の片隅に置いておいた方がいいでしょう。
すでにお読みになった人への雑感
ここからはお読みになっている前提で雑感を述べます。
「なんだこれは!」が、一読後の感想でした。これで終ってしまうのか、と。
中盤まで、スティーヴン・キング的、王道ホラー小説っぽい伏線らしきものがたっぷりあって、東日本大震災を思わせる地震がやってくるまでは、私はホラー小説として心を躍らせながら読んでいたのです。
シチュエーションで連想したのはキングの「ミザリー」でした。もしそうした作品を書きたいのなら、後半は爆発的な復讐劇が展開されるのではないかと勝手に期待してしまったわけです。
一人称の語りなのに
しかも一人称の語りです。小説に決まり事はありませんが、一人称で語られているということは、最後にはこの主人公も、この本を書けるぐらいには回復しているんだよね、と勝手に思い込んでいたわけです。
父による忌まわしい行為、地震、変わりゆくかつての恋人、映画製作者のおかげでもしかしたら意思表示ができるかもしれないという最後の希望。こうしたたたみ掛けていく後半の、最後に待っていたものは、私にとってはあまりにも静かで穏やかなものでした。
読み終えたあと、私は常に数冊を並行して読むタイプなので、読みかけのほかの本に気持ちが移っていったのです。でも、別の本を読んでいたときに、ふと、次のフレーズが浮かんできました。
……以下、引用……
「歌ってどうやって始まったのかな」
「言葉が歌になったんじゃなくて、歌が言葉になったらしいよ」
……引用おわり……
あそこ、妙にステキだったな、と感じていたのです。私たちは日々の感情を言葉がないときは、行動や態度で示すしかなく、類人猿みたいに吠えていたに違いありません。それがやがて歌になっていく。吠えたりうなったりしていた音が意味を持つようになるのかもしれません。
……以下、引用……
「リスナーってのは、ひょっとしたら俺たちよりもずっと優秀なんだよ。何も関係がない言葉を組み合わせても、そこから勝手に意味を汲み取ってくれる。(略)」
……引用おわり……
言葉が生まれたとき、私たちはそこに意味があると決めたのです。言葉と言葉のつながりに意味があると。たとえば「あー、おー」と歌うのと「おー、あー」では意味が違う、といった具合に。
私たちがいま当たり前のように生きている世界が、実は、かなり当たり前ではないものの積み重ねによって成り立っていることに気付かされます。今日できたことは、明日、できないかもしれない。あの人ができることが、私にはできないかもしれない。
それは生きている以上、いつもは心の奥に閉じ込めている恐怖です。
物語は、後半になって大地震と津波によって多数の命が奪われる事態に直面します。
……以下、引用……
何でテレビの向こうであの人たちはまるで物のように死んでいくのに、私は死ぬことができないのだろう。
……引用おわり……
意識だけ生きている状態、そして目と耳からの情報だけで日々を送ってるのに、主人公は成長する。そこに驚きと感銘があります。
それは希望であり、絶望でもあります。いくらたくさんの曲が頭の中で完成しても、誰にも伝えることはできません。だけど、彼女は間違いなく音楽に生きて成長した人として生涯をまっとうしたと言えるのではないでしょうか。
安息の地
少なくとも、奈落に落ちて即死しなかった意味はあったのではないか。
彼女はついに涙を流します。ただ、それは看病する家族にとっては余計なことでした。彼女はもう、このまま逝ってくれてかまわない、そう家族は願っているのです。早く伝説になってくれ、と。
こうして最後のページまで、主人公は絶望的な意識を持ちながら、月日だけが過ぎていきます。とはいえ、最後の最後に彼女は彼女なりの安息の地を見つけたのではないか。そんな気がする終わり方でした。
この記事の冒頭に「音楽、言葉、ホラー、時代、家族、未来、人生、成長、死生観」といった言葉を並べましたが、読む人それぞれに、こうしたテーマになにかしら触れるような気持ち、感情を受け取ることができる作品です。
蛇足としての深読み
さらに、お読みになった方向けの蛇足なのですが……。
時代という点でこの作品を読んでいくと、まぎれもなくこれは17年間の日本の話です。さらに、飛躍すれば、主人公を日本そのものだと考えてみることもできます。
奈落に落ちたのは高度成長経済からバブルを経て、輝かしいまでの栄光・栄華から落ちてしまった日本そのものではないのか。
嫌いな家族や好きだった彼やライバルだった歌手、医師など彼女を取り巻く人々は近隣の国々かもしれません。中国、台湾、韓国、北朝鮮、アメリカ、ロシア、東南アジア、中東、アフリカ、南米、さらにEUやイギリスとその連邦など縁の深い国々。
たとえば、主人公が作ったとされる曲を、彼女が嫌いだったライバルが歌う、しかもそれを仕組んだのは大好きだった彼。なにも知らない姉がライナーノーツを書いてファンに喜ばれる……。こうした関係は、日本経済やいろいろな分野でいますでに起きていることと重なるのではないでしょうか。
2020年の日本が抱えているもどかしさは、主人公と重なる部分がありそうです。そして若いと思っていた自分も、いつしか老けている。容赦なく訪れる高齢化。日本は、これまでの繰り返しではやっていけないとわかっているのに、オリンピックや万博と、まるで再放送のようにかつての記憶にすがりつく。こうした足踏み状態を、どうすれば脱却できるのでしょう……。
そのためには意識を大きく変えなければならないはずです。
おっと、まさに深読みのし過ぎでしたね。
最後に、合理的に考えれば一人称の作品部分は誰が書いたのか、という謎が残ります。当人が書いたのではないのなら、近親者か? だが内容からしてここに登場する人ではない。だとすると、この作品を書いたのちに生かされ続けた主人公は、優れた脳科学的な措置または電子工学的措置によってその記憶が保存されるなどして、抽出処理されたのかもしれない、などと思ったりもします。その時の日本は、世界は、人類はどうなっているのでしょうか?
またはさらに主体(主観)が縮小していく社会の中で、一人称が必ずしも特定の個体を意味していない、という考えもあるかもしれません。主人公のことを自分のこととして一人称で描く誰か(間違いなく著者ですが、著者以外にも存在するかもしれない)によって語られているかもしれない。あなたのことをあなたよりわかっている(と思っている)誰かが、あなたに代わってあなたのこととして、イタコのように執筆してもいい。小説は実際、そういう側面もあるのだから……。
いずれにせよ、人それぞれに楽しめる奥行きのある作品です。
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