『椎名林檎論 乱調の音楽』(北村匡平著)を読む

椎名林檎とは?

 1978年11月25日生まれ。福岡市出身。学生時代にバンド活動を経て、1998年にシングル『幸福論』でデビュー。1999年1stアルバム『無罪モラトリアム』は160万枚、2000年2ndアルバム『勝訴ストリップ』は250万枚を超える。2009年、平成20年度芸術選奨新人賞(大衆芸能部門)受賞。2004年からバンド「東京事変」の一員としても活動。作詞、作曲、編曲、歌唱、演奏。アーチストへの楽曲提供など多彩。
参照:ユニバーサルミュージック椎名林檎Special Site

参照:公式サイトSR猫柳本線

北村匡平とは?

 1982年山口県生まれ。映画研究者/批評家。東京工業大学 リベラルアーツ研究教育院准教授、専門分野は映画学 / 映像文化論 / メディア論 / 表象文化論 / 歴史社会学 / カルチュラル・スタディーズ / ジェンダー・セクシュアリティ
主な著書:『24フレームの映画学――映像表現を解体する』『アクター・ジェンダー・イメージズ』など。
参照:東京工業大学研究者詳報

『椎名林檎論 乱調の音楽』の特徴

 椎名林檎に切り込むために、著者は文学的、哲学的な視点に加え、自ら演奏する者としての音楽的な視点、また同時代性も取り込み、立体的に論考している。

実践的な演奏批評とは

『椎名林檎論 乱調の音楽』(以下、本書)はきわめて読みやすい書籍だった。楽譜も登場するが、読めなくても支障はない。特別に難解な概念も出現しない(あることはあるが、その説明は丁寧)。以下、このコラムでもし難しいと感じてしまったとしたら、あくまでコラム筆者(私)のせいである。

 本書は、作品を軸に時系列に考察している。作品の分析を中心に据えて、アーティストの意図、参加した他のアーティストや関係者の意図を感じ取ろうと試みる。それを著者は「実践的な演奏批評」とする(序章 4)。
「創造的な表現者は、意図やコントロールを超越したところで優れた作品を産み落とす」とし実践的な演奏批評を具体的に次のように表現している。
・「読むこと、聴くこと、見ること、演奏すること」を通して椎名林檎の音楽を感じ直すこと。
・作品の内側に入り込んで作者の痕跡を辿りつつ楽曲を再構築。
・外側に抜け出して放たれた言葉や音像を経験的に捉え返す。

読み進める快楽

 客観性の高い分析を軸にしつつ、デビューからの歩みを辿りながら読み進めていくと、椎名林檎の楽曲を「味わい尽くす」ための手引き書ともなっていく。各曲の分析を読んでいるとき、読者の頭の中には楽曲が鳴り響く。その音楽と文章はかなりの確率で共鳴し、読み進める快楽に結びつく。

 正直、かつて数少ないミュージシャンについての書籍を読んだ経験では、こういうことは起こらなかった(『マイルス・デイビス自叙伝』、『チャーリー・パーカーの伝説』)。こうした書籍はむしろ苦痛だった(だからあまり読んでいない)。「だったら、本人へのインタビューで十分」とか「楽曲を鑑賞した方がいい」となりがちで、読まず嫌いが増えてしまったわけだ。

千変万化の謎

 あえて本書を手にしたのは、私個人の疑問に答えを与えてくれるかもしれないと考えたからだ。そして、大いに満足できたのである。
 私はお世辞にも「デビューから注目していた」といった根っからのファンではない。横入りである。
 この本は、執筆時点での椎名林檎の主要アルバム、東京事変の全アルバムを時系列で分析。背景を含めて、曲の魅力となぜこうなっていったのかを解明していく。この追体験は横入りの者にとっては、とても助かる。
 本人や関係者の証言は重要な資料であるが、すべてに目を通すことは困難なことを考えると、著者の視点によって的確に引用される言葉、事象を通して立体的に提示されたアーティストの世界を楽しむことは、うれしいし、ステキな体験だった。

 私の疑問とは、椎名林檎の楽曲の千変万化ぶりである。たとえば声ひとつとっても、『本能』、『女の子は誰でも』、『茎』、『公然の秘密』、『OSCA』と並べるとあまりにも印象が違う。初めて聴くときには、これに面食らう。私は横入りなのでランダムに過去の楽曲も聴いていたのでなおさらだ。ストレートな曲もあるものの、多くの曲は曲調も多様で、曲の中での変化も大きい。イントロとエンディングの違いも大きい。拒絶反応が起きてもおかしくはない。聴く側の抱く「この曲、どうなっちゃうんだ」との危うさをあえて突いてくる。
 それでいて、形式に拘り、独自の様式美を突き詰める。タイトル、テンポ、楽曲の長さ、アルバムの構成、発声、歌詞の言葉づかい(英語や漢字、字面と違う読み方)、歌い方のすべてで独自の完成度を目指す。それを、あくまでJ-POPの範疇で完成させる。つまり、1曲の長さを3分前後にまとめる(5分、6分の曲もある)。またフェードアウトは少なくしっかり終わる曲が多い。MV、音楽番組、ライブなどではダンスも加わる。踊れることを前提として作られていたりもする。
 そうした商業的にもかっちりとした完成品を生み出す職人的な側面も見せる。つまりは信頼を築いて、多彩な曲を扱う自由を手に入れたとも言えるだろう。

正体を見たい

 音楽は芸術でありビジネスである。本書は、著者独自の観点からアーティスト椎名林檎を味わい尽くしている。同時代性、曲の成り立ち、歌詞の分析から、楽曲の機能・作用を考察する。楽曲から立ちのぼり鼻に抜ける香り、舌に最初に感じる鋭い刺激、喉を通過して残る余韻、さらに独特の隠し味に至るまで、すべてをこの一冊で語り尽くそうとしている。なにかのために批判をする姿勢ではなく、徹底して作品に向き合っていく。
 どんな人がどうしてこんな毒を仕込んだのか、自分はどうしてそれに染まってしまったのか。自分を狂わせる正体を見たいのである。

 本書を読んで私が感じたことは、椎名林檎がデビューから続けて来たことは、音楽的表現の自由度を獲得し、拡張することだった。それは固定化からの逃避でもあり、捕まえられないように隠れたり、反撃する巧みさでもある。はぐらかしたと思えば、正面突破を仕掛けてくる。それは直感的でありながら独自の計算式で得られた解答なのだろう。
 1曲の中に、先の読めない展開を生み出す、ジャンルを超越したなんでもありな世界を描いていく。自由奔放のようで、くっきりとした形で残す。裏切られたようで、むしろ味わいが増す。その信頼性の高さからまた聴きたくなる。
 最初にウケたイメージを維持することがポップスの営業面では求められているはず。最初にウケた曲があればその線から外れることなく突き進む(あるいは燃え尽きる)。それは、ビジネス面ではいたしかたない。
 ところが椎名林檎は違う。曲調、アレンジの変化だけではなく、曲に合わせて必要な歌い方を模索していく。それでもなおかつ、個性を印象付ける。リオ五輪閉会式で東京五輪への「旗引き継ぎ式」の音楽監督ほか、映画音楽、舞台の劇伴、ドラマやCMで使われる楽曲も多く、さまざまな歌手のプロデュースや楽曲提供もしてきた。
 本書では、どうしてこうなったのか、そしてソロとバンド(東京事変)の関係性についても立体的に描き出す。ソロの「三文ゴシップ」からの東京事変「スポーツ」へ。そこで大きな転換期があったことを描き出す。バンドとしてデビューしながらソロになる例は多いのだが、ソロでデビューしてからバンドを結成するのは珍しい。東京事変そのものがユニークな存在となっており、新しい自由であり、武器となる。

 たとえば、ファンの中には「椎名林檎はいいが東京事変は嫌いだ」(あるいはその逆)とか「ロック系はあまり好きじゃないけど、ミュージカルのような豊かな楽曲は好きだ」(あるいはその逆)、「日本語の歌はいいけど英語の歌はあまり馴染みがない」とか「歌える曲はいいけど、難しい曲はどうも」といった好みによって、バラバラになってしまう可能性はあるだろう。実際、そういう声もネット上では見受けられる。
「らしさ」を求めるファンは多く、自分のお気に入りの曲調に近いものを繰り返し求める人も珍しくはない。音楽の消費としては、むしろそちらが王道だろう。「らしくない」曲をやり出すと、ファンは離れていく。
 それを承知の上で、アーティストとして新しい地平を目指す。さまざまな困難に直面しても、自分の武器を磨いて(あるいは新たな武器を手に入れて)切り拓いていく。

乱調の美

 ファンを裏切りながらも、トータルで満足させてしまう。喩えは合っているとは言えないが、ピカソのように、時代を自分で作ってしまう。
 著者は大杉栄(無政府主義者)の言葉「美はただ乱調に在る。階調は偽りである。真はただ乱調に在る」(「生の拡充」──『近代思想』1913年7月号)から、本書のタイトルを得たという(終章 3)。
 本書を読み進めることで、曲や歌詞、さらに声などから総合的に受ける「美」を感じ取れるだろう。
 なによりもうれしいのは、私のお気に入りのアーティストがこのように詳細に考察される対象となり得ていることかもしれない。
 感覚的に楽しんできたので、実はこうした解析、あるいは解剖のような分析は楽しめないのではないかと危惧していたが、まったく違っていた。それは歌詞やメロディーについての「そこそこ!」といういわばツボの部分への言及を含め、「だよね」「そうなのか」となりやすいからだろう。
 完全に論理的に理解できているわけではないけれど、なんとなく「だよね」となるのである。それが楽しい。
 そしてまた、楽曲に浸るのだ。

SR 猫柳本線 | 椎名林檎・東京事変オフィシャルサイト

著者によるSpotifyのプレイリスト

蛇足(以下本書と直接関係ない個人的な話)

距離感

 本書を読むとき、椎名林檎の音楽遍歴と読者自身の音楽遍歴のシンクロ度あるいは乖離度を気にすることになる。読者と椎名林檎あるいは東京事変との距離感によって、本書から受け取るものは違ってくるだろう。
 私の場合は、同時代性であるとか、懐かしさはほとんど感じない。かつて「ミュージックステーション」で『本能』を見たのが最初だった(1999/10/29放送)。
 これは自分にとっては、サザンオールスターズを初めてテレビで見たとき(『勝手にシンドバッド』)以来の「すごいの出てきた」感だった。
 ただ洋楽中心に聴いていたこと、ベストテン的なヒット曲よりも、オルタナティブな作品を探すのが好きだったこともあり、その後はほとんど聴かずじまい。

FMと冨田ラボ

 次に「おや?」と思ったのは、冨田ラボである。FMをよく聴いていた時期にキリンジを知り(2000年の『エイリアンズ』から)、冨田恵一に興味を持つ。2013年。FMで冨田ラボ『Joyous』、さらにTOWA TEI『LUCKY』が流れる。椎名林檎は、前者では『この世は不思議』『やさしい哲学』『都会の夜 私の街』、後者では『APPLE with Ringo Sheena』で参加していた。
 つまり『本能』のイメージでしかなかった彼女がなぜ、こうなったのか、私にはまったくわからなかった。向こうからこっちに来てくれたようなうれしさがあった。
 そもそも椎名林檎は、どうしてこれほど多彩な楽曲を創り、歌うのか。楽曲や共演者に合わせて歌い方も変えてしまうほど、カラフルなアーティストとなった背景にはなにがあったのか? 本書を通して辿ることができた。
 私として残念だったのは当時、朝ドラをまったく見ていなかったことだ(『あまちゃん』以前はほとんど見ていない)。もし見ていたら2011年の『カーネーション』で気付いたはずで、当然その年の「紅白歌合戦」でも注目したに違いなかった(「ガキの使い大晦日年越しSP!!絶対に笑ってはいけない空港24時!!」を見ていた)。

ストリーミング解禁

 2016年11月、Spotifyが日本で正式にスタート。当初、招待制だったがすぐに申し込み、ほどなくジャズを中心に聴き始めていた。2018年、デビュー20周年を迎えた椎名林檎は全楽曲のストリーミング配信を開始。このときから、椎名林檎と東京事変は、ヘビロテのアーティストとして自分のプレイリストに君臨してきた。自分としては「ワークソング」である。仕事のときの音楽となった。その結果、とうとう8時間ぶっ通しで楽しめるプレイリストを作って楽しんでいる。

椎名林檎&東京事変 どっぷり浸る 8時間

WOWOW

 音楽は不思議なもので、そのときに必要な音と出会う。気になるようになる。自分にとっては2013年であったし、2016年であったのだが、決定的となったのはSpotifyであり、その後WOWOWで見た「椎名林檎 (生)林檎博’18 −不惑の余裕−」であった。この頃、WOWOWは椎名林檎、東京事変のライブを集中して放送しており、そのあまりにも幅広く多彩な音楽性、独特の演出に圧倒された。

ナイトフライ

 ジャズ、フュージョン好きで、インストゥルメンタルをメインに聴いていた。歌謡曲やヒット曲はこちらから聴こうとしなくても勝手にテレビやラジオから流れてくる時代に育ったせいもある。
 ハービー・ハンコックにのめり込み、コルトレーン、マイルス、パーカーらのジャズ、ラリー・カールトン、パット・メセニー、デビッド・サンボーンなどに漬かっていた。
「歌もの」は映画音楽から入ってバカラック、クインシー・ジョーンズが気に入り、スティービー・ワンダー、スティーリー・ダン、シカゴ、チャカ・カーン、アレサ・フランクリン、アース・ウィンドウ・アンド・ファイアーといった方向も楽しみ、そしてR&Bやソウル系をよく聴いていた。
 スティーリー・ダンのドナルド・フェイゲン『ナイトフライ』(1982年)は大好物であり、『ナイトフライ 録音芸術の作法と鑑賞法』を冨田恵一が出版したのが2014年であった。このあたりで冨田ラボをこれまで以上に気にするようになり、それが椎名林檎につながったのであった。

バート・バカラック『Wives And Lovers』

 私の音楽体験で学校の授業を除くと、小学生のときに作った鉱石ラジオから聴いた「FEN」(現在のAFN)。住んでいた場所のせいか、抜群の音質で聞えたのだ。土曜日にはビルボード100やウルフマンジャックがあった。誰だかわかりもしない曲に夢中になった。フィフスディメンションとバート・バカラックぐらいは知っていた。とくにバカラックは最初に自ら希望して親に買ってもらったアルバム(ベスト盤)だった。とくに気に入ったのが、「サン・ホセへの道」(これはNHKの朝のラジオでもよく耳にした)だった。そしてアルバムを手に入れて一番聞き込んだのは、『Wives And Lovers』と『Promises, Promises』であった。どちらも、リズムが不思議で、曲の展開もダイナミックだった。単調な手拍子で楽しめる曲ではない。正確に手拍子するのが難しい曲、とも言える。その飛び跳ねた曲調が好きだった。
 バカラックは多くの歌手に楽曲を提供し、映画音楽もやり、なおかつ自分のバンド(オーケストラ)を率いて世界中で演奏をしていた。1971年には日本にも来て(確か前年の大阪万博にも来ていたはずだが)、そのライブ映像を当時の地上波(地上波しかなかったけど)で中継したのだ。それを見て14歳の私は完璧にファンになってしまった。『This Guy’s in Love with You』『A House Is Not a Home』は弾き語りで、バカラック自身が歌うことが多かった。けして上手いわけではないが味のある歌唱で、『Wives And Lovers』も最後の最後にちょっとだけ歌う。ある意味のチャーミングさがあった。
 そしてバカラックが94歳で亡くなったことを受けて、2023年3月5日の朝日新聞に「酸いも甘いも調和の楽曲 バート・バカラックさんを悼む 寄稿・椎名林檎」が掲載された。その寄稿で『Wives And Lovers』に触れていたのを読み、感慨深かった。それだけなのだが、個人的にはそれが、それだけではないことは言うまでもない(これを記したいだけなのにこんなに文字数を使ってしまうほど)。
 椎名林檎はバカラックから『IT WAS YOU』を提供されている(初披露は2008年、デビュー15周年ベストアルバム『浮き名』収録、ちなみにこのアルバムはストリーミング化されていない)。

honto 電子書籍で読了 本間舜久 2023/03/16)

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本間 舜久

投稿者プロフィール

小説を書いています。ライターもしています。ペンネームです。
カクヨム

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