
『オブリヴィオン』(遠田潤子著)
目次
本書の構成など
NetGalley(ネットギャリー)に参加しています。
NetGalley(ネットギャリー)で、発刊前のゲラ状態で読ませていただきました。期間限定で申請なしで読むことができたのです。
ゲラは373ページ
序章 1~5 終章
舞台は現代の大阪を中心に、適時、過去に戻る。
主人公は吉川森二。「俺」。一人称で語られる物語。
森二が育った家族(父、母、兄・光一、森二)。
森二がつくった家族(森二、唯、冬香)
長嶺の家族(圭介、唯、亡くなった従姉、本家のお祖母さんなど)
沙羅の家族(行方不明の父、帰国して再婚した母)
光一の仲間(加藤持田)
著者は過去の作品で、どうしようもない親に苦しめられる子ども、濃厚な家族のドラマなどを描いており、この作品も当然、その延長としてとらえることができるはず。
ただ、私自身はこの作品ではじめて読む著者なので、読んだときは予備知識ゼロでした。
レビュー1 悲劇の連鎖
読んでよかったです。のめり込みました。惹きつけられました。濃厚な描写、密度の濃い人間同士のぶつかり合いを堪能しました。
奇跡の話です。いわゆる「ギフト」とか「シックスセンス」とでもいうのでしょうか。特別な能力を持った子ども。それが森二でした。彼は父親に連れられて行った住之江競艇場で奇跡をおこします。
ですが、彼の能力は不幸を招くのです。
冒頭から、悲劇の予感しかしない設定。どこまでいっても救いはなく、彼の周りの人間たちは人生を狂わされていきます。
誰もがもがき、苦しんでいくのです。これはつらい。
ネタバレになるので、詳しいことが書けない私もつらいです。
なお、このレビュー記事にはネタバレはありません。
レビュー2 奇跡を信じて……
ともかく著者を信じて、奇跡を信じて、読み進むことになります。つまり、これは、主人公森二が起こす奇跡の話であると同時に、彼の周囲の人たちが複雑に絡み合った上で最終的に生み出す奇跡の話でもあるのです。
一人称なので、私たちは森二の視点からしか世界が見えません。
なにがどこでどうしてそうなっていくのかは、なかなかわかりません。主人公の知らないことは読者にもわからないのです。
それでいて、終章にはいくつもの奇跡がちりばめられています。おかげで、私たちもそれに一緒に加担したかのような気になるほどです。
かといって、この作品。ファンタジーではありません。
私が読みながら思い浮かべたのは、ドストエフスキーだとか黒川博行の作品であったり、もちろんスティーヴン・キングの作品だったり。または、桐野夏生や高村薫だったり。
競艇を中心に賭博、ノミ屋などの話が出てきます。それでいて、この作品は男臭さはあまり強くありません。それは、圭介と唯の存在が大きいからでしょう。
つまり、男臭い裏社会的なクライムノベルの部分を持ちつつ、神か天使かよくわからない圭介と唯のファンタジー的な部分が重なり、なおかつ極めていまの時代、私たちが呼吸しているこの世界の生々しさが浮かび上がる作品となっています。
あくまでもクールな筆致です。森二が語るのでその心は冷え切っている。それをしっかり描いています。
超能力を得た人間の苦悩を描く作品は、スティーヴン・キングがすでに傑作を書いていますが、この「オブリヴィオン」もまた、それにつながる傑作と言っていいでしょう。それもホラーではなく現代小説として。
ミステリーとして読むのが正しいのかもしれませんが、私はいまの時代の文芸作品として楽しみました。
アストル・ピアソラの「Oblivion」
タイトルとなっている曲名「オブリヴィオン」は、象徴的にこの作品全体を包み込んでいます。文中に沙羅がバンドネオンで演奏してみせるシーンもあるわけなので、これはぜひ聴いておかなければなりません。
Spotifyでは、こちらをどうぞ。
YouTubeでoblivion – Gidon Kremer – Astor Piazzollaがあり、すごく感動的でなおかつ官能的な曲だとわかります。しかも、聴いたことがある。 どこか郷愁であるとか、遠い哀しみを感じたりもします。
本書では圭介が「クレーメルの演奏で聴いた」(P147)とあります。
『ピアソラへのオマージュ』(ギドン・クレーメルほか)
ピアソラのオリジナルを聴くとなると、SpotifyやApple Musicにある「Piazzolla Tangos 6」がいいのではないでしょうか。ストリングスと織りなすなんともいえない、切ない演奏です。この曲の詳細はこちらもご参照ください。
YouTubeには、2 HOURS OF TANGO – Best of Tango with Astor Piazzollaの2曲目に入ってます。
バンドネオンは、アコーディオンとは音色や響き方がかなり違いますね。
Piazzolla’s Oblivion – Best 15 versions, vocal and instrumentals – A full hourを視聴したところ、そうか、キム・ヨナが冬季オリンピックのフィギュアスケートで使った曲なのですね。どうりで初めて聴いた気がしませんでした。懐かしさはそこからくるのかも。
この作品を読むとき、途中でいいので、この旋律を聴いておきたいものです。登場人物たちが織りなすこの世界が、ふっと立ち上がってくるような気がします。映画のように。
なお、「オブリビオン(忘却)」と曲名にしている場合もあります。
こちらのブログには、歌詞も出ています。そう、演奏だけではなく、シャンソンとしても歌われているのです。不思議な歌詞です。でも、雰囲気がありますよね。この歌バージョンもPiazzolla’s Oblivion – Best 15 versions, vocal and instrumentals – A full hourに登場します。
『Live at the Bouffes du Nord アストル・ピアソラ ミルバ』
いくつかの疑問を感じたとしても
少しムリのある設定ではないか。そう感じるかもしれません。でも、これはネタバレになるので詳しく書けませんが、ネットなどで調べていただければそれほど非現実的なことではないとわかります。
本作中では、三島由紀夫の『憂国』ですべてを説明しているわけですが、それでは情緒的にはわからなくもないけれども、現実的にはどうなのかなという気もしてしまうわけです。
つまり森二の持つ奇跡、そしてこの特殊な設定による奇跡はいずれもこの作品ではファンタジーに流されやすい要素です。それをいかに現実的に処理していくか。これもまた著者のチャレンジとなっているのではないでしょうか。
ムリかも、と思えるような設定は、最後の最後に明らかになっていくので(途中で大きなヒントが出ますので読者は気づきますけど「まさか」と思うわけですね)、信じられないと思うなら、ぜひ調べてみることをオススメいたします。たぶん『AERA』の記事などを読むことができるでしょう。
こうした「奇跡」の周辺にはきわめて現実的でしっかりとした世界を構築していおり、着地していくので私は納得し感嘆しているわけです。
こうなると森二の奇跡にも裏づけとなるような現実の話があるかもしれませんよね。
三島由紀夫の『憂国』
『花ざかりの森・憂国―自選短編集』(三島由紀夫著)
文中に出てくる三島由紀夫の『憂国』を読み返してみました。とても短い作品です。そして10年以上前に読んだきりなので印象がかなり違うな、と思いました。というのも今回はそこに潜む官能性に注目して読み返したからですし、私も10歳以上年をとったわけで。
ここで詳しくは述べません。みなさまも一読してみてください。
この新潮文庫版『憂国』は解説を著者自身つまり三島由紀夫が書いています。
「ここに描かれた愛と死の光景、エロスと大義との完全な融合と相乗作用は、私がこの人生に期待する唯一の至福であると云ってよい」(P331)と記しています。
この至福は「書物の紙の上にしか実現されえないのかもしれず」とも書いています。
さらに、「三島のよいところ悪いところすべてを凝縮したエキスのような小説」とし、一編だけ選ぶならこの『憂国』だとしています。「『憂国』一編を書きえたことを以て、満足すべきかもしれない」とするほどです。
この解説は昭和43年9月。つまり1970年(昭和45年)11月25日に自身が割腹自殺を遂げることを考えるとその思いは、私などが考える以上に重かったのでしょう。
『オブリヴィオン』では細かく『憂国』のなにがどう作用したのかは記されていません。そこは、読み手が自由に解釈していいところしょう。それだけに合わせて読んでおきたいですね。
また『オブリヴィオン』という作品にとって『憂国』をことさら大きな要素と考えない方がいいとも思いつつ、著者がそこに残した手掛かりを私たちも考察してみることも読書の楽しみだろうと思います。
『オブリヴィオン』(遠田潤子著)
光文社でネットギャリーのレビューを集めた書店用POPを作成
版元の光文社の営業担当によって、ネットギャリーに寄せられた書店員さんらによるレビューを集めた書店用のPOPを作成しました。書店で見かけたときはぜひ、レビューの熱い言葉もご覧ください。
著者のインタビューもご参考に
『オブリヴィオン』刊行記念インタビュー 遠田潤子
小説宝石2017年11月号に掲載されたものとのこと。
「人生はその気になればやり直せる、と。結局それにつきると思います」
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