『日の名残り』 (カズオ・イシグロ著, 土屋 政雄訳)
- 2017/7/14
- 文学(海外), 読書
- The Remains of the Day, アンソニー・ホプキンス, カズオ・イシグロ, 執事, 日の名残り
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『日の名残り』 (カズオ・イシグロ著, 土屋 政雄訳)
2017-01-24記(見出しなど再編集しました)
アンソニー・ホプキンス主演で映画化
カズオ・イシグロの作品をすべて読んでいきます。
1989年、The Remains of the Day 『日の名残り』 は、ブッカー賞を受賞。その後、ジェームズ・アイヴォリー監督・アンソニー・ホプキンス主演で映画化されています(1993年)。
映画は見ていません。いずれ、見るかもしれません。
この作品の主人公は、イギリスの伝統的な執事です。しかも第二次世界大戦をはさんで、親子二代の執事。戦争によって、時代は大きく変わります。このあたりは、前の二作『浮世の画家』(カズオ・イシグロ著、飛田茂雄訳)や、『遠い山なみの光』(カズオ イシグロ著、小野寺健訳)とも、重なる部分はあるでしょう。前二作は日本が大きな舞台として登場しましたが、この『日の名残り』 には日本は出てきません。
ですが、主人公の使えている屋敷は、英国人から米国人の手へと渡ります。また、元の英国人は大戦中にはナチスドイツとの外交に関する役割などから、不名誉な終わり方をしているようです。
執事といえば、英国ミステリー小説などでお馴染みで、その厳格で鼻持ちならない、しかし完璧な存在というイメージが多少なりとも多くの人に流布していると思います。それは、コメディでの執事の扱いなどで古くから映画などでも定着していると思います。
語り手は、クセの強い執事
この作品が一筋縄ではいかない理由としては、その執事自身が語っている点です。
カズオ・イシグロの作品の特徴として、記憶と感情の関係性を浮き彫りにする傾向があります。このため、この作品も、主人公の感情に触れる部分では記憶は本当に正しいのか、正直に語っているのか、とても疑わしい。
つまり、読者は、彼の言う言葉をそのまま受け止めていいものかどうか、考えながら読み進めることになります。
かといって、退屈な作品ではありません。わざと「退屈な執事」を演じている部分では、とても退屈になるように書かれていますが、それも含めての「おもしろさ」なのだと思います。
控え目ですが、ユーモアもかなりあって、それが前二作と違い、読者にとってはホッとする部分です。
主人が米国人になったため、気の効いた返事をしなければならないのではないか、と真剣に悩み、いろいろ試してみる主人公の姿は、なかなかのものです。
父親との関係、そして主人公の恋
そして本作品では大きな感情部分として、主人公と父親との関係、そして主人公の恋を取り上げています。後者は、読み終わると実は全編にわたって彼の恋愛が綴られていたことに改めて気づかされ、同時に、そうした執事としての人生とはどんなものなのだろうと思うことになるわけです。
彼の恋愛対象は、1つは仕事です。執事という仕事。父親の影響で最高の執事となるために努力してきた彼は、人生のすべてをそこに注ぎ込んでいます。
そしてもう1つは、その仕事を通じて知り合った女性です。
前半では、彼は彼女との諍いであったり彼女について気に入らないこと、イライラすることを中心に語っています。こちらもイライラしますが、しだいにそれは、彼の深い愛情なのだと気づきます。
そして休暇をもらい、自動車を自分で運転して旅に出ます。作品はこの旅で起きたことと、出会った人たちとの話と回想が混ざります。
なによりも、この旅の目的は彼女だったのです。辞めて結婚したらしいが、うまくいっていないかもしれない彼女に会うこと。それこそが、実は最大の目的だったのですが、なんの知識もなく読んでいると、しばらくそういう彼の目的はわからないのです。
このあたりの作品の作り方は、とてもみごとです。
語られなかったことに思い巡らす
やはり、饒舌に語られる、いわば語り過ぎの部分と、ほとんど語られない部分のコントラストがおもしろい。読者は、文字から読み取るために、語られ過ぎの部分にとてもとらわれてしまうのですが、主人公の心情としては、ほとんど語られていない部分こそが重要です。
また、思い返しながら、「ああだったのではないか、こうだったのではないか」とくどくどと考える主人公に、イライラすることもあるでしょう。ところが、同じことを思い返していて、「またか」と思っていると、なんだか少しずつ表現が変化してきていることに気づき、そこで読者はハッとさせられます。
もしかしたら、これだけたくさん、どうでもいいことを繰り返し述べているのに、肝心なことで語りたくないことがいっぱいあるんだろうな、と。
きっとこの主人公は最高の執事という職業に恋をしたために、どうしても素直に語れないことがいっぱいできてしまって、その代償としてどうでもいいことや、一見すると大事なことのように見えるけれども主人公とはあまり関係のないことを饒舌に語るのではないか。
私たちもたぶん、そうだと思います。いっぱい語れることが、その人の重要な部分かどうかは、人によって違う。だけど、語られなかったことは、ほぼ間違いなく、その人にとってとても重要なことです。
そして、この作品は、切ないラブストーリーとして心に残るわけです。
参考
映画もとても評判がいいですね。 |
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