心が震える作品『わたしを離さないで』(カズオ・イシグロ 著、土屋政雄訳)

Shipwreck Ship Wreckage  - egorshitikov / Pixabay

『わたしを離さないで』(カズオ・イシグロ 著、土屋政雄訳)

概要 シンプルでストレートな作品

 2005年発表の「NEVER LET ME GO」の邦訳。ブッカー賞最終候補となりました。
 映画化、舞台化、テレビドラマ化されています。おそらく「日の名残」に続いて多くの人に愛されている作品でしょう。

目次
第一部(1~9章)
第二部(10~17章)
第三部(18~23章)

 形式は若者の成長、友情、恋愛、三角関係を描くヤングアダルト小説です。そのため著者の作品の中では幅広い年齢層に支持されていると思われます。「ローナとナオミに」と扉にあって、それは著者の妻と娘の名です。

 著者の長編作品は1作ごとに作風そのものが変化していく中で、本書解説の翻訳家・柴田元幸氏が指摘するように、「記憶は捏造する」「運命は不可避である」といった中心的なテーマは本作でも引き継がれています。とはいえ、とてもシンプルでストレートな作品になっているため、実はそれほどこうしたテーマは気にすることなく、登場人物たちに感情移入しながら楽しめる作品になっています。
 キャシー・Hという名の女性の一人称の作品です。彼女の目を通して見たこと、知ったことが描かれます。ただし、例によって著者の中心テーマである記憶の部分については多少の仕掛けがあり、かつて経験したことが、振り返るときに言及されていないことが加わって、意味を変化させていきます。
 これまでの著者の長編は、物語として楽しもうとした読者が感情移入しようとすると、「あれ?」とか「おかしいな」となる場面が出てきて、かなり翻弄されることも多かったのですが、本作に限ってはそれはほとんどありません。

本の紹介で「何をどこまで書いてよいやら迷う」

 そのかわり、訳者あとがきで土屋政雄氏が記すように「この本の場合は何をどこまで書いてよいやら迷う」とあるように、いわゆるネタバレに神経を使うことになる重大な設定があります。

 言えることは、「心とはなにか」「人とはなにか」といった根源的な問いを抱きながら主人公たちの、甘酸っぱくも残酷な青春に心を寄せていくうちに、最終的には思いがけないほど読者の感情を揺さぶる結末へ進んで行く作品だ、ということでしょう。
 前半(とくに第一部)で描かれる奇妙な共同生活とときどき出現する不安にさせる専門用語の意味は、徐々にはっきりとわかってきます。いわばネタバレはかなり早いところで明らかなになります。この物語はむしろこの作品の世界が明らかになってからパワーが一段と強くなり、心を締め付けられるようなドラマになっていくのです。
 読み終わってから、印象的な場面がいくつも思いつきます。それがすべて、私たちが最初に思ったような意味とはまったく違う意味を持つことを知るのです。

読後に振り返る心が震えるシーン

 私は最後の段落を何度も読み返しました。すばらしい作品であり、いつまでも心に残る作品です。なお、本書を読むまではドラマ、映画ともに未見で臨みました。それでも、いくつかの風景は、旅で見た印象的な場面のように脳裏に鮮やかに記憶に残っていきます。
 ヘールシャム、コテージ、クルマでの旅、オフィス、トミーの描く絵、難破船……。どのシーンも感情を揺さぶることになります。読んでいるときはそうでもないのですが、その後の出来事でかつてのシーンを振り返ると、「ああ、そうか」とか「たまらないなー」となっていくのです。
 代表的なシーンは、この本のカバーでも象徴的に使われているカセットテープ。前半ではキャシーの大切にしていたカセットにまつわるエピソードがあり、それは後半にも引き続き登場してきます。ウォークマンでカセットを聴いて、一人、誰もいない教室で踊るキャシー。
 そういま書いたところで、本書を読んでいない方はなんてことはないシーンに思えるでしょうが、読了された人にとってはとても心が震えるシーンなのです。
 ぜひ、先入観を持つことなく、本書を読んでみることをオススメします。

ネタバレの感想 心の問題、生き方と運命の問題

 これから先は、本書の重大な設定を知った上での記述となります。まだお読みではない人は、できれば読まない方がいいでしょう。ただし、ネタバレを目的として書くことはしませんけれども。
 重要なテーマとして、人以外に心はあるのか、という疑問があります。たとえばクジラはどうか。イルカはどうか。公園の樹木はどうか。もし、人が利用しているさまざまなものに心があったら、みなさんはどうするでしょう。
 本書の感傷的すぎる残酷さは、こうしたナイーブなテーマを臆面も無く直球で読者に突きつけてくる点でしょう。おそらく、本書を気に入らない人は、そういう点にも引っかかるに違いないと思います。簡単にいえば「あざとい」わけですね。
 もしもこの作品と同じストーリーをSF作家がエンタメとして描いたらどうなっていたでしょうか。おそらく歴史に残るような作品にはならなかったと思います。むしろスラップスティックなB級SF的な、たとえば「ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー」みたいな作品になっていったのかもしれません。あの映画では木がしゃべり大活躍しますよね。楽しい映画です。
 一方、本作はもっと深刻な世界です。主人公たちに、心はあるのでしょうか。
 重要なことは、これはキャシー・Hの一人称の作品であり、彼女がこれを書いていることなのです。抑制された表現が最初から最後までびっしりと物語を精緻に組み立てていくわけですが、それを含めて、それはキャシーがやっていること(という設定)です。
 もし、キャシーがこれを書いたのだとしたら、事態は大きく変わるでしょうか?
 それでも、人は、自分たちのために無視し、主人公たちを利用し続けるでしょうか。
 映画「ブレードランナー」で最も印象的な、そしてこのB級SF映画を歴史に残す作品にしてしまったのは、ルトガー・ハウアー演じるロイ・バッティの存在でした。彼はこの作品で誰よりも圧倒的な存在感を示し、多くの問いを私たちに投げかけ、そして壮絶な最期を迎えます。
 ロイ・バッティには心があるでしょうか。そんなことを、考えたことはありますか?
 本作品を読んでいて、とても悲しいことは、主人公たちが自分たちの役割を運命として完全に受け入れていて、そこから外れることを恐れ、喩えは悪いですが食肉加工場へ向かう家畜のように従順にまっすぐ向かっていくことでしょう。
 ハリウッドB級映画なら、主人公たちは立ち上がり反乱を起こすに違いないし、映画「ブレードランナー」のロイ・バッティも、逆らったことによって追われる身となったのです。
 心があるとしても、運命に逆らわない選択をする。それはどういう意味を持つのでしょうか。誰かの役に立てば、そもそも理不尽な生を受けた者であっても、満足した生涯と言えるのでしょうか。
 キャシーの生涯、トミーの生涯、ルースの生涯は満足した生涯なのでしょうか。
 それは、私たちとどのように結びついているのでしょうか。なにが違うのでしょうか。またはなにが同じなのでしょうか。
 本書を読むことで、改めて私たちはこうした問いを自分に投げかけていくことになります。
 同時に、周囲を見渡したとき、みなさんの目に映るもの、感じるものが、これまでとは変わってきたことにも気付くはずです。身近な人のこと、家族、友人、知り合いの存在について、これまで感じたことのない気持ちが湧いてきたとしても不思議ではありません。
 つまりこの作品は、作品として読んでいる間、読んだあとに、読者にさまざまなものを与えてくれる豊かさを持ち、加えて、読後には読者自身にちょっとした変化へのきっかけを与えてくれるとも言えるでしょう。もちろん、それを受け入れてもいいし、拒絶してもいいのです。私たちは人間なので、心があるから、選択ができるのです。
 だけど、本当に私たちは自分の生き方を選択できているのでしょうか。私たちがあたりまえにあると思っている心とはなんなのでしょうか。
 そんなことを考えさせてくれる作品です。

NEVER LET ME GO

 文中で紹介されている音楽Judy Bridgewaterの「Songs After Dark」というアルバムですが、架空のものです。「NEVER LET ME GO」という曲も実在しない曲なのですが、同名異曲としてジャズのスタンダードに「NEVER LET ME GO」という曲があります。この曲は、本文中に紹介されているような曲とはかなり違うわけですが、Spotifyにどなたかがプレイリストを作っています。『文學界』のインタビューで、村上春樹とジャズの話をしていると語っているカズオ・イシグロ。もしかするとこの曲にインスパイアされたのかもしれませんね。

(2021/01/25)


 

  • このエントリーをはてなブックマークに追加
  • follow us in feedly

本間 舜久

投稿者プロフィール

小説を書いています。ライターもしています。ペンネームです。
カクヨム

この著者の最新の記事

関連記事

コメント

  1. この記事へのコメントはありません。

  1. この記事へのトラックバックはありません。

公式ツイッター

編集長ツイッター

ページ上部へ戻る