激変する上野駅の前で

『JR上野駅公園口』(柳美里著)を持ち出して、上野駅の公園口前で撮影してみました。

 本書も激変していく上野公園を描いていますが、まだまだこれから変化していくようです。1883年(明治16年)7月28日に開設された上野駅ですが、2009年にいまの駅舎にリニューアルされてから、劇的に変化を続けています。西郷さんの下はまったく新しい店舗に一新されましたし、京成駅もこれから大きく変わると言われています。
 そしてこの公園口も、近々、北側(上の写真では向かって左)へ移動します。東京文化会館の正面にある改札が、動物園へ続く道の正面へ移動します。東京文化会館も改築されるのではないかという話もあります。
 そんな上野駅をタイトルとした小説『JR上野駅公園口』(柳美里著)を紹介します。

この本の概要

『JR上野駅公園口』は、文庫、Kindle版など電子書籍版があります。私は、2014年3月初版の単行本で読みました。その帯には「構想から十二年」とあり、〈1933年、私は「あの人」と同じ日にうまれた〉とあります。

 東京オリンピックの前年、昭和38年(1963年)に、上野に出稼ぎにやってきました。それから50年、家を失った男。ホームレス。彼が最後に立ったのは上野駅のホームです。そこで思い出す光景とは……。

 作品の冒頭は印象的な文章の連続です。人生について、一冊の本に似ているのに「文字が並び、ページに番号が振ってあっても、筋がない。終わりはあっても、終わらない」というのです。「でも、終わった」「運がなかった」と……。そして、電車がホームに入ってくる。アナウンスがあり、さまざまな音が……。

 そして物語が始まります。その冒頭は……。

 JR上野駅公園口の改札を出て、横断歩道を渡ったところにある公孫樹の木の植え込みの囲いには、いつもホームレスたちが座っている。(P7)

 そして主人公の、ことさら特殊ではない、誰にでも起こり得る人生が綴られます。
 帯にある「あの人」。主人公は1933年(昭和8年)生まれ。この年の12月に生まれたのが第125代天皇です。天皇の退位等に関する皇室典範特例法の成立によって退位を決められたました。2017年で84歳になります。

 同じ年に生まれた者として、天皇についてたびたび触れることになります。同じ時代に同じ国で生きている人として。

 主人公は相馬の出身です。何度か帰ってもいるのですが、この50年の間には2011年3月11日も含まれます。彼は、帰るべき場所だけではなく、帰る意味も失ってしまうのです。

 単行本で本文と著者による「あとがき」を含め184ページ。詳細な参考文献もついています。この「あとがき」に構想から作品となるまでの話が書かれています。2006年にホームレスの「山狩り」を取材したことがきっかけです。そこに後の東日本大震災を経て、作品となったのでした。

読んで感じたこと

 読み終わったとき、正直、ホッとしました。ノンフィクションのような小説。結末は冒頭から示唆されているのでギリギリと締め付けられるような思いで読み進めていました。

 天皇と同じ年に生まれた人は、134万人と言われています(総務省統計局)。本書では、とくに政治的な意味を強調することなく、主人公と天皇について触れています。ことさら運のない、普通の人について描く小説として。

『JR上野駅公園口』は、綿密な取材によって、当時のホームレスの生活をしっかりと描いています。ノンフィクションの部分が重くなるにつれて、フィクションとしての詩情が噛み合わなくなるのではないか、などと私などは危惧してしまうのですが、著者はとても冷静に素直に文芸作品へと昇華していきます。

 フィクションを意識しすぎると、ともすると感動押し売り的、ストーリーテリングの巧みさや鮮やかさで印象づけることも考えられます。その点で、この『JR上野駅公園口』には、驚くような展開、思わず涙する結末、といったものは用意されていません。

 でも、本書の主人公は間違いなくこの時代を生きて、そういう結末を選択したのだ、と読者は実感するでしょう。その重みを感じることができると思います。

 主人公が最後にした選択は、私はもっとも避けてほしい結末ですが、たとえば混雑した電車が緊急停車したときなどに「人身事故」と聞いて、「なんだよ」とか「またかよ」「迷惑だな」といった気持ちになるのもわかるものの、もしかしたらそこにしか行く道のない人生もあるのかもしれない、そして人間としてどのような選択をもあり得ると、その重みに少しだけ心を寄せていくことができるのではないでしょうか。

 人は好きなように生きていい。好きなように死んでいい。いまの日本にはそのような悲壮な自由があるのかもしれません。一方、理不尽にも災害などでふいに人生を終わらせられてしまう事実もあります。本書の主人公のように、選択肢があるようで、自由があるようで、極めて限られた道しかない人たちも大勢いるのではないでしょうか。

『JR上野駅公園口』は、さまざまな読み方のできる作品です。読者によって、世代や考え方によって、また現在の境遇によって、読み取る部分も変わってくるのではないでしょうか。それが魅力です。

なぜこうもマジメで寡黙で怒りを露わにしないのだろうか

 故郷が地震と津波によって破壊され、大切な家族たちも飲み込んでいったことへの絶望──。

 しかし、なぜこうもマジメで寡黙で怒りを露わにしないのだろうか。こうした生き方をしている人たちの存在を忘れて、浮かれていられる人たちの中に私はいるのです。

 頭に来たら暴れたらいいのに。

 NHKの朝ドラで「ひよっこ」(2017年上期)では、出稼ぎに出た父親は蒸発します。家を、家族を失うのです。このメンタリティはなんでしょう(のちに強盗に遭って記憶喪失になったことがわかりますが)。

 この本の主題ではないものの、家を捨てて死を待つ生活に入り込んでいく気持ちとはなんでしょうか。ネットで調べたら「路上に引きこもり状態」という言葉を見つけました。

 そうか、これは引きこもりの変形なんだ。『「怒りを隠す」というのが引きこもりで一番多い原因(目的)のようです。』という言葉も見つけました。

 そうか、そもそも怒りを外に出せないから引きこもるしかないのか。それが路上の場合もあるのか。

 もっともこの方向性は根拠となる研究がよくわからないのでなんとも言えません。ともすると、引きこもりは「心が弱い」的なとりつく島のない考え方も散見されます。「負けている人」といわんばかり。

 負ける側の怒りの矛先がどこに行くのか。どう解消すればいいのか。

 勝ちに向かって生きている人たち、少なくとも勝てると信じているときは、敗者の気持ちを斟酌することさえないのかもしれません。格差社会では、この亀裂はさらに大きく深くなるのではないでしょうか。

 明るく前を向く「ひよっこ」というドラマと、対象的な『JR上野駅公園口』ですが、NHKの朝ドラでは触れることのできない部分をしっかりと描いていると言えます。本書を先に読んでいたので、高度成長期の日本のある種の野蛮さ、心を遠くに置いて行くことへの躊躇いのなさが、実はいまの日本にも深い傷になっているのではないでしょうか。

 私自身、引っ越しをして上野公園によく行くようになったのは1999年(平成11年)からです。この頃は、隅田川周辺も上野公園もホームレスがたくさんいました。本書であるように、炊き出しのある日は都内あちこちから集まってくるのか、驚くほどの人数が噴水の近くの広場にいました。
 また、ブルーシートに象徴されるテント村があちこちにあって、花見の時期やイベント時には移動するなどしている光景もよく見ました。トイレはほぼ彼らの水場となって、とても観光客が立ち寄る雰囲気ではなかったのです。

 もっとも、いまも花見の場所取りをするホームレスといったドキュメントがあったりもするわけですが……。

 その後、この本で触れられているように上野公園は長く改修工事を実施しました。それはホームレスがいられないようにすることも目的なのだろうと思われました。

 いまでは科博(国立科学博物館)から噴水方向に、このように、ほとんど遮るものなく見通せていますし、トイレもきれいに全面改修されています。かつてはここもテントでいっぱいでした。

 近くに住む者、そして観光などで利用する者としては、いまの上野公園はあの頃とは様変わりで、スターバックスもあるし、のんびりと犬を散歩させる気分にもなります。いい公園になったわけですが、同時に、ここにいた人たちはどこへ行ったのだろう、とも思うのです。
 見えていた頃。それは嫌な光景かもしれませんが、少なくとも探すことなく見える場所に彼らはいました。
 いまは、見えなくなっている。探さないとわからないところに行ってしまった。表と裏に、明確な境界線ができてしまった。

 表にいる人からは、裏へ行った人が見えなくなり、裏にいる人からは表の人が見えなくなる。いまの日本はそういう社会になっているのではないでしょうか。

 東京都福祉保健局によると、「23区内のホームレス数は、平成11年度の5,800人をピークに以後漸減傾向にあります。平成27年1月調査では対前年比177人減の778人となりました。」とあります。私が目にしたときがピークだった、ということなのです。

 ホームレスはどこへ行った? 17年は5534人、13年比33%減少

 このような記事もあります。比較的若い人で、ネットカフェなどを転々とする人たちが一定数いるわけですが、役所の把握するところではないのかもしれません。見えにくくなり、わかりにくくなったのであって、解決したから公園がきれいになった、というわけではないのではないか。そんな気持ちになります。池袋のサンシャインに近い公園にたくさんのブルーシートがあったのを目撃したことはありますし、空き缶を山のように運んでいる人たちはいまもいます。

 これを書いていて、あえてマクロな数字を出しました。人口とか統計とか。

 ですが、この本を読んだ者は、人は個々に、それぞれに人であって、だから人生なのだということに改めて気づかされるのです。小説のすばらしさは、表も裏も、マクロもミクロもなく、一個人を時代とともに映し出す点にあるのだと実感しました。

『JR上野駅公園口』(柳美里著)

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本間 舜久

本間 舜久

投稿者プロフィール

小説を書いています。ライターもしています。ペンネームです。
カクヨム

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