「カズオ・イシグロ 文学白熱教室 完全版」を見て思ったこと

2015/08/18記(見出しなど編集しています)

興味深い6つのポイント

 こんばんは。夏が過ぎようとしているのか。それともまだまだなのか。今日(18日)、なんとなく秋っぽい雲を東京で目撃しました。巻積雲っぽいやつに似ていました。

 さて、先日、「カズオ・イシグロ 文学白熱教室 完全版」(NHK Eテレ)をご覧になった方も多いと思います。

 もし見逃した方は、たとえばこのような方々がけっこう詳細にメモっております。
 別館.net.amigo

 THE MUSIC PLANT 日記

 いずれも、初回のバージョンをご覧になった熱心な方々。これだけ起こしてしまうとスゴイですよね。大変、助かります。

 私がとくにおもしろく思えたのは次の点でした。ただし、これは上記の方々のようなメモではなく、私が聞いて感じたことを書いたものなので、正確ではありません。

 1、なぜ読者は小説を読みたいか? なぜ小説を書くのか?
 2、自分の心や頭の中にある情緒的な世界を、ほかの人たちも読むことで知ることができるように外に出すこと。
 3、アイデアを2~4のセンテンスで書き留めておく。それを検討し、そこに感情的に刺激するなにかがあるかを確かめる。アイデアはあらすじ以上のものがなければならない。
 4、脚本を書いていた頃に初期の作品を読み返し、ドラマや映画ではできないことを小説に求めるようになった。そこにプルーストの「失われた時を求めて」にある特殊な時間軸がヒントとして加わった(上記メモからすると、このあたりの話が「完全版」なのかな?)。
 5、舞台はどこでもいい。過去でも未来でも。大事なことは心情を伝えること。ノンフィクションでは5W1Hを正確に書く必要がある。しかしフィクションは、それよりも、その場面、その立場に置かれた人間の心情が重要になる。『日の名残り』は前作とまったく同じストーリーや心情を舞台を英国に置き換えたもの。
 6、メタファーについて。

 このほかいくつか、いまここには書けないような意味のわからないメモもあるのですが……。もう一度、見るかな、いつか。

 上記6項目について、ちょっと触れます。

1、なぜ読者は小説を読みたいか? なぜ小説を書くのか?

 こんな根源的で、刺激的な問いかけはステキですね。たまには、自分自身にも問いかけたいと思いました。案外、こういう部分はスルーしやすいですからね。自分にとっては、なんなのか。ときどき考えたいな、と思いました。これは語れば長くなるでしょうね、みなさんもきっと。

2、自分の心や頭の中にある情緒的な世界を、ほかの人たちも読むことで知ることができるように外に出すこと。

 この部分、「ライノベだから」とか「SFだから」とか「エンタメだから」といった理由で、手加減している人もいるんじゃないかな、なんて思いました。そこに他人から借りてきたものを中心に据えたら、もう自分の作品じゃなくなるかもしれない。そんな畏れを感じたことはありますか? 私はこの言葉を聞いて、大いに反省しております。オリジナリティ以前の根本問題でしょうね。

3、アイデアを2~4のセンテンスで書き留めておく。それを検討し、そこに感情的に刺激するなにかがあるかを確かめる。アイデアはあらすじ以上のものがなければならない。

 これも深いですよね。プロット重視にすると、私は書けないタイプです。だから、まあ、書いていませんが。他人には「プロットが大事らしいよ」とは言いますが、自分はそれで成功した経験がないし……。アイデアを書き留めることはずっとやっていて、アイデアばっかりです。そこに「書けそうか?」とか「おもしろそうか?」なんてことをはさむよりも前に、もっと感情を刺激するものにしないとそもそもダメなんだな、とわかりました。
 たぶん、アイデアそのものが乏しいので、たまに出て来たアイデアに飛びついちゃったり執着しちゃうのかもしれませんね。そこでもうちょっと、考えるべきだと。もちろん、これは地位を得た作家さんならではでしょう。つまり失敗はできないので、より慎重になる、という面もあるのだろうとは思いますが……。
 そして、こうしてできたアイデアを作品にするときには、プロットも重要になるでしょうし……。
 ここがクリエイティブの重要な基礎部分になるんでしょうね。

4、脚本を書いていた頃に初期の作品を読み返し、ドラマや映画ではできないことを小説に求めるようになった。そこにプルーストの「失われた時を求めて」にある特殊な時間軸がヒントとして加わった。

 この話は「1」に関連しているのでしょうけど。何度も読もうと挑戦してつまらなくて読めていないプルーストがまた出てきちゃったな、というのが正直なところで、いつか決着をつけなければなりません。ただイシグロ氏も「退屈」と笑っていましたけどね。そういうものなんだ……。
 ともかく、ドラマや映画ではできないことを、という視点はますます重要ですよね。私たちはエンタメ作品を書くのだ、その出口は、ドラマ、映画、ゲームなのだ、という感覚に毒されているのかもしれません。そんな出口が見え見えの作品は、小説としてつまらないのではないか。ま、そうだろうな、という気もします。このあたりは、議論がありそうですね。

5、舞台はどこでもいい。過去でも未来でも。大事なことは心情を伝えること。ノンフィクションでは5W1Hを正確に書く必要がある。しかしフィクションは、それよりも、その場面、その立場に置かれた人間の心情が重要になる。『日の名残り』は前作とまったく同じストーリーや心情を舞台を英国に置き換えたもの。

 イシグロ氏はこれに気づいた結果、舞台選びに多くの時間を費やすようになってしまったとおっしゃっていました。心情を伝えるための舞台は、どこでもいいけれども、一番、ふさわしい場所があるはずだ、ということでしょう。確かに、これを探すことは、並大抵じゃないでしょう。イシグロ氏によると、ぴったりの舞台でない場合は、書けなくなるようです。
 書けなくなることについては私もベテランなので、よくわかります。そうか、舞台が悪いんだ……(冗談ですけどね。悪いのはそれだけじゃないです、私の場合は)。

6、メタファーについて。

 大きなメタファーについてイシグロ氏は話していました。たとえば先日私も読了した『忘れられた巨人』ですが、私はあえてその大きなメタファーについては触れず、男女の愛という部分に目を向けたのですが、彼が言うように、もちろん、ここにあるのはいま私たちが直面している状況にも似た状況です。過去。忘れること。忘れてはいけないこと。思い出すこと。相手のあること。自分のこと。そうした状況が、国際社会では頻繁に、人々の生活や人生を大きく変えているのは事実です。
 番組中にその話を著者本人がしたので、それはそれでいいけれども、読者の楽しみとしては、それを必ずしも真正面から受け止める必要はないと思うし。だからメタファーなんであって。主張や論じゃないから。
 この件も、さらに発展させていけそうな話ですよね。

 さて、この番組を見て、昔のことを思い出したのです。
 ある優れた人で、私も尊敬している人がこうおっしゃいました。
「小説は1つも読んだことはない。読むべきは歴史書とノンフィクション、そして数学や仕事の本。小説を読む理由がわからない。そうでしょ?」
 同意を求められて苦笑いしましたが、反論はできませんでした。もちろん取材先なのだから、反論は不要ですけども。
 内心で「そういう人が、組織の上に立つのは、なんだかイヤだな」と感じたのですが……。ただ、歴史書は読んでいるらしいから、なにかしら人間的な側面は豊かなのだと思いたい……。

 イシグロ氏の言葉には、「小説なんていらない」という人への反論というか答えがあるように感じました。

 このあと、「カズオ・イシグロの世界 全作読みます」を実施しています。

 

 

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本間 舜久

投稿者プロフィール

小説を書いています。ライターもしています。ペンネームです。
カクヨム

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