
彼女は誰?
彼女は誰なのでしょう。十和田市現代美術館に入り、順路の示すとおりに最初に入った部屋に彼女はいます。
ロン・ミュエクによる「スタンディング・ウーマン」と題された、高さ405センチにもなる巨大な像です(Ron Mueck,Standing Woman,2008,Towada Art Center)。
髪は白くなっているので、高齢でしょう。地味な服装。そしてなにを見ているのか、無表情に一点を見つめています。
これだけ大きな作品なのに、存在感はあまり強くないのです。大きな部屋の隅の方に彼女は立っていて、誰かが自分に気づいてくれるのを待っているようです。
なにかを訴えてくるわけでもありません。主張もしません。
そのせいでしょうか。私がいたとき、15人ほどの高齢の団体客が入ってきて、ぞろぞろとなにかを話ながら、彼女の前を通り過ぎていってしまうではありませんか。ここに彼女がいるのに!
彼女には名前はありません。架空の人だそうです。
ここでなにをしているのでしょう。
もしかすると、彼女は時空を超えて、この場所に現れ、驚いたまま固まっているのかもしれません。
ハイパーリアリズム
ロン・ミュエクは、オーストラリアに生まれ、いまはイギリスを拠点として活躍しているアーティストです。
多くの人が一度は見たことのあるマペットの制作に携わり、テレビ番組「Fraggle Rock」に参加しました。マペットを作成し、やがて映画『ラビリンス/魔王の迷宮』(1986年)では、マペットだけではなく声の出演もするようになりました。その頃の彼の様子がこちらに紹介されています(FANDOM)。
美術界に転じで、最初に知られることとなったのは、自分の父親の死体を正確に再現した「Dead Dad」(1996-1997)です。ただし、大きさは実際の3分の2と小さくしています。
ハイパーリアリズムとは、スーパーリアリズム(写真のように細部まで忠実に描く作品)を超えていく表現として登場したものでしょう。
なぜなら、いまでは、誰でも簡単にスマホで、リアルな写真や動画を撮影できる時代になったのですから。
絵画などの芸術は、リアルを超えていかなければなりません。
その一つの発想として、現実にないものを、現実のあるように描くことも含まれているはずです。そして現実にあるものを、非現実的に表現することもあるはず。
亡くなった父親を彫刻として残す。細部までリアルに。ただしサイズを変えて。
サイズを変えることが、ひとつの表現になり得るわけです。ロン・ミュエクは、巨大なベッドに横たわる女性や、巨大な赤ん坊など、よく見ているはずのものをスケールを変化させていくことで、別物に変えてくれます。
そういう意味で、この「スタンディング・ウーマン」を見ると、ごく普通の老女をリアルに再現しながら、巨大化したことで私たちにいろいろなことを想像させてくれます。見る角度によって、伝わってくるものも変化します。
近づくと、「手がでかい!」。彼女はその生涯にわたって、この手でなにをしてきたのでしょう。たくさんの子供を育てたでしょうか。小麦粉をこねてパンを焼いたでしょうか。
ゆっくりと彼女の周辺を歩いて、さまざまに変る印象を感じ取ることで、彼女が抱えている焦燥感、諦め、ため息、そして微かな怒りのようなものを感じてみるのもいいのではないでしょうか。そして、サイズのもたらす不思議な体験は、長く心に残ることでしょう。
十和田市現代美術館
このロン・ミュエクの「スタンディング・ウーマン」は、青森県の十和田市現代美術館で常設展示されています。この美術館は、常設展示のほとんどが撮影可能になっています。また、美術館の周辺にも公園や歩道などに美術作品が設定されているので、ピクニック気分で楽しむことができます。
十和田市現代美術館
参考書籍など
「ラビリンス 魔王の迷宮 (字幕版)」 ロン・ミュエクが声でも出演している映画。
「ロン・ミュエック」金沢21世紀美術館でおこなわれた日本初個展にあわせて発行された本。代表的な作品に加え、制作風景の写真、作家インタビューを収録。
ミュエックの孤高の魂に迫る決定版。
「Ron Mueck」こちらは海外の本です。
「Ron Mueck: New Work 2005」こちらは海外の本です。
「Fraggle Rock」のDVDですが日本語字幕はありません。
フランス人がときめいた日本の美術館 ソフィー・リチャード (著), 山本 やよい (翻訳)では、十和田市現代美術館などを紹介。
「毛利悠子 ただし抵抗はあるものとする」十和田市現代美術館 (編集)
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