『わたしたちが孤児だったころ』(カズオ・イシグロ著、入江真佐子訳)

英国式エンタメ作品の骨格

 原題は「When We Were Orphans」。2000年に刊行された作品です。
「遠い山なみの光」「浮世の画家」「日の名残り」の初期3作は、いずれも戦争と個人を描き、フィクションですがかなりリアリティのある作品でした。そしてこの前に発表された「充たされざる者」は、大胆にもシュールな世界の中で起こる人間の不思議な営みと記憶とズレを感じさせる作品でした。
 そして本作は、再び戦争と個人を描く作品になっていますが、すでに初期3作のようなリアルなだけの描写ではなく、観念的でシュールでそして人の記憶の曖昧さとズレをも取り入れた、そういう意味での「冒険」小説となっています。著者独特の世界観を伝統的なエンタメ作品の骨格で表現する、意欲的で綱渡り的なみごとな作品と言えます。
 しかも、ヘミングウェイやグレアム・グリーン、ジャック・ヒギンズなどを思わせる英米の冒険小説、さらにハードボイルド系まで含むエンタメ小説の骨格を持っています。英国といえば、ドイルやアガサ・クリスティの名探偵ホームズ、ポアロなどのミステリー、イアン・フレミングの007やジョン・ル・カレ、ギャビン・ライアルなどのスパイなど、厳しい状況を打開していく主人公を描いたミステリー、サスペンス、冒険小説の国と言ってもいいでしょう。
 その点で、本書は英国伝統のエンタメ小説を意識しており、これまでの4作とはまるで違うストーリーテリングの世界が築かれています。とはいえ、通常のエンタメ作品とはまったく違う部分も多く、そこもとてもおもしろい。
 主人公は「探偵」。ただし彼が携わった事件は描写されません。それでいて本作にはちゃんと謎解きがありますので、ネタバレ的な話が書けません。
 後半の緊迫した上海での主人公のムチャな行動は、「充たされざる者」を想起させつつも、冒険小説としてのスピード感もあり息つぐ暇がありません。ただし、私たちは「この主人公の語っていることは本当なのか」と疑いながら読み進む点では、いつも通りのカズオ・イシグロ作品なのです。

構成

WHEN WE WERE ORPHANS
パートⅠ 1930年7月24日 ロンドン 1~3
パートⅡ 1931年5月15日 ロンドン 4~9
パートⅢ 1937年4月12日 ロンドン 10~11
パートⅣ 1937年9月20日 上海、キャセイ・ホテル 12~13
パートⅤ 1937年9月29日 上海、キャセイ・ホテル 14~15
パートⅥ 1937年10月20日 上海、キャセイ・ホテル 16~22
パートⅦ 1958年11月14日 ロンドン 23

 本書はこのように1930年から1958年、つまり第二次世界大戦をはさんで描かれます。

前半で3人の孤児が登場

パートⅠでは、主人公(クリストファー・バンクス)の現在と主な登場人物であり、疎ましくももしかすると初恋の相手かもしれない(と読者は思う)サラ・ヘミングスとのイライラした関係が描かれます。サラの境遇は、おそらく主人公の夢想する母親のイメージとも重なっていますし、この時代に事故で孤児となってしまったサラの生き方も興味深いものです(ただし主人公によって語られるので実像ではないかもしれません。とはいえ、後半でサラが重要な役割を持ちます)。

パートⅡになると、子供時代、忌まわしい事件の記憶が中心になります。自分が子供の頃に上海にいて、そこで日本人の友人アキラであるとか、使用人の中国人だとか、父、母の話です。そしてはじめてここで、主人公が孤児である理由が描かれます。ただし、事実関係は例によってよくわかりません。
 過去は鮮明なのに現代は曖昧とした描写になっていくのが読んでいて苦しくなるかもしれません。。

パートⅢでは、ジェニファーという養女が登場し、タイトルの「わたしたち」が主人公、サラ、ジェニファーであることが明らかになります。

第二次上海事変を背景とした混乱とアクション

パートⅣは、1937年の上海です。イエロースネークなる謎の人物が浮上します。なお、1937年(昭和12年)8月13日より第二次上海事変が勃発し、いよいよ日本軍が上海を占領しようと動き出します。ただし、史実はこの本では一切触れないので、気になる読者は、調べる必要があります。
 そしてここからはいよいよ冒険小説の世界です。上海で起きた凄惨な事件。拉致。帝国日本軍の艦砲射撃が飛ぶ上海の社交界。カジノに入り浸る英国人。このあたりは、タイタニック同様、沈む船の上での悲喜こもごも。

パートⅤでは、マクドナルド、モーガン、昔住んでいた家。クン警部など、過去と現実がぶつかっていきます。サラとの奇妙な恋愛感情。奇妙な欺瞞は、「日の名残」の執事にもあった感情で、著者独特の押し殺すような気持ちが描かれます。気持ちは直接描かれず、常に間接的に表出します。外向きの言動と裏腹な内向きの言動。

謎解きもあり曖昧な記憶と幻想もあり

パートⅥ。ハード・ボイルドの雰囲気、ノワールの雰囲気などを使いながらのイシグロ世界が広がっていきます。かつての憧れの警部など、道具だてはホントにみごとです。
 これほど子供、子供時代に焦点をあてた作品は初めてではないでしょうか。主人公の子供時代は作品全体に色濃く漂います。以前の作品にも子供は登場しましたが、不可解な存在であり、よそよそしかったりもしましたが、この作品では、子供時代の記憶こそが重要で、現実は幻想的です。
 ヘミングウェイや冒険小説を思わせる展開は、いっきに読ませます。
 暗くなった破壊された上海の町を西の焼却炉から東の焼却炉へと行く……。そこで日本軍の軍人に出会う。主人公はアキラだと思い込み……。
 またしても、楽しかった子供時代を振り返ります。子供時代の「明るさ」、大人となっての「暗らさ」(うまくいかない恋愛、仕事では成果を上げるが同時にプレッシャーも重くのしかかり、そのためか性格も歪む~キレやすい、孤児となった理由、それを自分は解決できると考え周囲も信じているプレッシャー……)。
 こうした重石は、著者自身が感じていたことかもしれない、つまり作家になって楽しく書いていた時代は過ぎ去り、プレッシャーの中で結果を求められる存在になったときの心象と重なっているのかもしれません。

パートⅦでは、すべてが終った戦後の1958年。ロンドンと香港が舞台となります。感動的な再会。泣けます。
 そしてジャニファーは31歳に。バカなことをしたらしい。失敗したようだ。渓谷を眺めながら将来の夢を語るジェニファーのシーンはほろ苦くステキです。主人公がサラの友人だった人との会話で描くその後の場面も小説らしい醍醐味があります。
 読み終えて、ただの冒険小説、ただのミステリーではないものがこみあげてきます。この作品のストーリーを2時間のドラマにまとめたら、冒険活劇になってしまうかもしれません。著者はそれも許容しつつ、そうではない展開と効果を随所にちりばめていきますので、むしろ映像化不可能な印象さえあります。
 まいりました。すばらしい作品でした。
 うがった見方をすれば、私たちにとって子供時代はすばらしいことの連続だったとしても、大人になってしまうと、それはまるで失踪した父母を追いかけて生きるようなものなのかもしれません。誰もがいずれは孤児(父母を失う)になることを思えば、それがいつかによって記憶も変わっていき、それがその人の生き方そのものに大きな影響を与えていくのかもしれません。

(2020/03/07)


 

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本間 舜久

本間 舜久

投稿者プロフィール

小説を書いています。ライターもしています。ペンネームです。
カクヨム

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