こんにちは。本間舜久です。

 2017年10月5日の夜、ノーベル文学賞にカズオ・イシグロ氏が選出されたと知り、驚きとともにうれしくなりました。これまでノーベル文学賞を受賞したあとに読む(川端康成、ヘミングウエイなど)、ノーベル文学賞作家と知らずに読む(J・M・G・ル・クレジオなど)ことはあっても、読み続けていた作家が受賞したことはなかったですから。初体験。他人事なのにうれしいものですね。
 というわけで、実はすでに読み終えていたのに書いていなかった『充たされざる者』について、慌てて追記することにしました。というのもNHK『ニュースウオッチ9』に登場していた早稲田大学文学学術院の都甲幸治教授がオススメの本として推奨していたからです。テレビ的には映像化されている『わたしを離さないで』や『日の名残り』なのでしょうが、この言葉を聞いてここで紹介する勇気をいただきました(ずっと実は逡巡していました)。

 カズオ・イシグロ(Kazuo Ishiguro)の作品を全部読もうとしております。
 「カズオ・イシグロ 文学白熱教室 完全版」を見て思ったこともご参照ください。
 ここでは読んだ本を簡潔に紹介します。以前に「かきぶろ」に掲載したものを元にしている部分もあります。順番は新しい作品から第1作へと遡る順に並んでいます。

『忘れられた巨人』(カズオ・イシグロ著、土屋 政雄訳)

『The Buried Giant』(2015年)の邦訳。週刊誌の書評を読んですぐ読み始め、夢中になり「だったら全作を読んでみよう」と思わせた作品です。読んでよかったというのが正直な感想です。芝居として舞台で上演できそうなほど、濃密な場面が連続します。それは、後半になるにつれて濃さが増していきます。
 読んでいて、先に急ぎたい気持ちと、ゆっくり読み進めたい、噛みしめたい気持ちがいったり来たりします。これは登場人物たちも同様なのです。
 アーサー王亡き後、いかにも平和になったブリテンですが、そこには野望をいだくサクソン人(ゲルマン系)もいます。人が少ない荒野では、不思議な存在が登場します。そういう世界なんだ! 映画『ロード・オブ・ザ・リング』、各国の民話や伝承にも通じる基本的な舞台であることから、懐かしく感じるのかもしれません。
 記憶を失うことのいい点と悪い点。思い出せない苦しみもあれば、忘れることで得られる平和もあります。登場人物たちは、その中で苦しみ、もがきながら旅をするのです。
 この作品のとくに優れた点は、言葉の持つ重層的な意味をうまく使っていること。視点の転換の鮮やかさ。表現の巧みさ。深みがあり、ふと読む手を止めて思いにふけりたくなるかもしれません。
 最後の場面。ここの解釈も読者によって違うかもしれません。結局、男と女の普遍的な話なのでしょうか。それとも――。全文へ。

 
『夜想曲集』 Nocturnes: Five Stories of Music and Nightfall 2009年 未読

『わたしを離さないで』(カズオ・イシグロ 著、土屋政雄訳)

 2005年発表の「NEVER LET ME GO」の邦訳。ブッカー賞最終候補となりました。
 映画化、舞台化、テレビドラマ化されています。おそらく「日の名残」に続いて多くの人に愛されている作品でしょう。
 著者の長編作品は1作ごとに作風そのものが変化していく中で、本書解説の翻訳家・柴田元幸氏が指摘するように、「記憶は捏造する」「運命は不可避である」といった中心的なテーマは本作でも引き継がれています。とはいえ、とてもシンプルでストレートな作品になっているため、実はそれほどこうしたテーマは気にすることなく、登場人物たちに感情移入しながら楽しめる作品になっています。
 キャシー・Hという名の女性の一人称の作品です。彼女の目を通して見たこと、知ったことが描かれます。ただし、例によって著者の中心テーマである記憶の部分については多少の仕掛けがあり、かつて経験したことが、振り返るときに言及されていないことが加わって、意味を変化させていきます。
 これまでの著者の長編は、物語として楽しもうとした読者が感情移入しようとすると、「あれ?」とか「おかしいな」となる場面が出てきて、かなり翻弄されることも多かったのですが、本作に限ってはそれはほとんどありません。
 訳者あとがきで土屋政雄氏が記すように「この本の場合は何をどこまで書いてよいやら迷う」とあるように、いわゆるネタバレに神経を使うことになる重大な設定があります。
 言えることは、「心とはなにか」「人とはなにか」といった根源的な問いを抱きながら主人公たちの、甘酸っぱくも残酷な青春に心を寄せていくうちに、最終的には思いがけないほど読者の感情を揺さぶる結末へ進んで行く作品だ、ということでしょう。全文へ

『わたしたちが孤児だったころ』(カズオ・イシグロ著、入江真佐子訳)

 原題は「When We Were Orphans」。2000年に刊行された作品です。
「遠い山なみの光」「浮世の画家」「日の名残り」の初期3作は、いずれも戦争と個人を描き、フィクションですがかなりリアリティのある作品でした。そしてこの前に発表された「充たされざる者」は、大胆にもシュールな世界の中で起こる人間の不思議な営みと記憶とズレを感じさせる作品でした。
 そして本作は、再び戦争と個人を描く作品になっていますが、すでに初期3作のようなリアルなだけの描写ではなく、観念的でシュールでそして人の記憶の曖昧さとズレをも取り入れた、そういう意味での「冒険」小説となっています。著者独特の世界観を伝統的なエンタメ作品の骨格で表現する、意欲的で綱渡り的なみごとな作品と言えます。
 しかも、ヘミングウェイやグレアム・グリーン、ジャック・ヒギンズなどを思わせる英米の冒険小説、さらにハードボイルド系まで含むエンタメ小説の骨格を持っています。英国といえば、ドイルやアガサ・クリスティの名探偵ホームズ、ポアロなどのミステリー、イアン・フレミングの007やジョン・ル・カレ、ギャビン・ライアルなどのスパイなど、厳しい状況を打開していく主人公を描いたミステリー、サスペンス、冒険小説の国と言ってもいいでしょう。
 その点で、本書は英国伝統のエンタメ小説を意識しており、これまでの4作とはまるで違うストーリーテリングの世界が築かれています。とはいえ、通常のエンタメ作品とはまったく違う部分も多く、そこもとてもおもしろい。
 主人公は「探偵」。ただし彼が携わった事件は描写されません。それでいて本作にはちゃんと謎解きがありますので、ネタバレ的な話が書けません。
 後半の緊迫した上海での主人公のムチャな行動は、「充たされざる者」を想起させつつも、冒険小説としてのスピード感もあり息つぐ暇がありません。ただし、私たちは「この主人公の語っていることは本当なのか」と疑いながら読み進む点では、いつも通りのカズオ・イシグロ作品なのです。全文へ

『充たされざる者』(カズオ・イシグロ著、古賀林幸訳)

『The Unconsoled(1995年)の邦訳。4作目の長編。
 1993年には『日の名残り』の映画が公開されていますので、前作の余韻が長く世間に続いている中で登場したこの『充たされざる者』。これがまた、これまでの作品とはまるで違うだけではなく、早川文庫版で948ページもある膨大な作品だったのです。当時、これがどのように受け止められたのかわかりませんが、私自身、2017年7月に読んでいたものの、整理がつかず紹介がずっと遅れてしまったのです(いまは2017年10月6日)。著者がノーベル文学賞を受賞したと知り、書いておかなければと思ったわけです。

 これまでの作品も一筋縄ではいかない点では、共通しています。これは手強い。長い。電子書籍で読んでいて、いつまでたっても半分に到達しない。話はまったく進展していないように見える。主人公たちはいったいなにをやっているのだろう。書かれていることは正確でリアルっぽいのに、私たちにはさっぱりわからない……。
 主人公「わたし」による一人称です。ライダーと呼ばれる主人公がピアノを弾きに訪れた街。ホテルのフロントマンがブロツキーという人物について語ります。この作品では、主人公とブロツキーという2人の音楽家が軸になっているのですが、直接関わるのはずっとあとのことです。老ポーターとの延々と続く会話。ここで挫折する人も出るんじゃないかと思うほど、私たちを混沌の中に突き落とします。
 このポーターのグスタフも重要な人物ですが、そもそも、出て来る人たちと主人公の関係がどの程度深いものなのかは、まったく説明がないので会話や事件を通してでなければ読者はわかりません。
 まるで悪夢のような世界なのか。それともメルヘンチックな世界なのか。
 読み終わったとき、とても疲れますが、この作品を読まなければ経験できないことを経験させてもらったと感じました。これはすごいことです。このような読者体験のできる作品はそれほど多くはないでしょう。
 ただ、この作品の構造をあらためて意識しながら読んでいくとき、私はいろいろな発見をし、さらに楽しめたのでした。それは「現在」と「過去」を巡る冒険といってもいいものなのです。全文へ

『日の名残り』 (カズオ・イシグロ著, 土屋 政雄訳)

『The Remains of the Day』(1989年)の邦訳。著者の3作目。ブッカー賞を受賞。映画化(1993年)もされており代表作と言えます。主人公は、イギリスの伝統的な執事。しかも第二次世界大戦をはさんで、親子二代の執事。戦争によって、時代は大きく変わります。主人公の使えている屋敷は、英国人から米国人の手へと渡ります。また、元の英国人は大戦中にはナチスドイツとの外交に関する役割などから、不名誉な終わり方をしているようです。
 執事といえば、英国ミステリー小説などでお馴染みで、その厳格で鼻持ちならないイメージが多少なりとも流布していると思います。
 この作品が一筋縄ではいかない理由として、その執事自身が語っている点です。
 カズオ・イシグロの作品の特徴として、記憶と感情の関係性を浮き彫りにする傾向があります。このため、主人公の記憶は本当に正しいのか、正直に語っているのか、とても疑わしい。
 彼の言う言葉をそのまま受け止めていいものかどうか、考えながら読み進めることになります。わざと「退屈な執事」を演じている部分では、とても退屈になるように書かれていますが、それも含めての「おもしろさ」なのだと思います。
 控え目ですが、ユーモアもかなりあって、それが前二作と違い、読者にとってはホッとする部分です。
 そして、この作品は、切ないラブストーリーとして心に残ります。全文へ。

『浮世の画家』(カズオ・イシグロ著、飛田茂雄訳)

 1986年にウィットブレッド賞を受賞した第2作『An Artist of the Floating World』を翻訳した『浮世の画家』です。
 正直、きわめてそそられない題名。ゆったりと語られていく作品。日本が舞台です。主人公の日本人の画家による一人称。現在から過去を思い出していくので、記憶については常に懐疑的です。確かにそう言ったはずだ、と思いつつ記述していくのですが、読者から見れば「間違いではないか?」「思い過ごしではないか?」「勘違いではないか?」と疑問を持ちながら読むことになります。
 主人公は戦前、戦中、戦後と生きて、その時代に青春を過ごし、絵に対する情熱を燃やしました。時代の変化によって、正しいと思った方向に進んできたはずでした。それが戦後に価値観が一変し戸惑っています。自分の感じてきたこと、やってきたことが間違いだったかもしれないと考える中で、どれが正しく、どれが間違っていたのかを思い返していきます。
 ときには、エゴイスティックに「自分こそ正しい」と主張したり、画家としてのポリシーについて頑なに自分の考えを突き詰めようとしたり、それでいて家族の言葉に耳を傾け、「いまの考え方」にも理解を示す。理解をしつつも、「でも、そこは違う」と言いたくなったりします。
 読者としては、人間というものが持つ尊大さ、思い込み、間違ったことについての捉え方、記憶のどの部分を評価するか、といった面を考えさせられながら読むことになります。
 芸術とは? 野心とは? 自分の思うままに生きることとは? さらにそうやってきた人生を、私たちはどのように肯定するのか。または否定するのでしょうか。全文へ。

『遠い山なみの光』(カズオ イシグロ著、小野寺健訳)

『A Pale View of Hills』(1982年)の邦訳です。これが最初の長編作品で、英国の王立文学協会賞を受賞。9か国語に翻訳されたところから、世界的に注目されていきます。邦訳では別に『女たちの遠い夏』というタイトルでも出ています(ちくま文庫)。
 日本とイギリスを舞台として、章ごとに変わるような構成。主人公(悦子)は英国に暮らしています。主人公の半生にはほとんど触れていません。長崎では彼女は妊娠しているのですが、その長女(景子)がどうなったのかは、英国の場面で下の娘(ニキ)との会話の中で語られます。主人公は景子を失って、自分が日本にいた頃を思い出しているのです。
 戦後間もない長崎。まだ原爆と敗戦から癒えていないどころか、その過程の真っ只中です。主人公の近所に越して来た母(佐知子)と子(万里子)の話、没落した上流階級の人がやっているうどん屋、義理の父と夫、夫の友人らのエピソードを重ねていきます。舞台劇を思わせつつ、同時に小津安二郎の映画を彷彿とさせるようなリズムが全体を通して流れています(この点は『浮世の画家』も同様です)。モノクロの戦後の日本映画をゆっくりと見た感じ。
 大きく印象に残るのは、義理の父の戦前の価値観が古いものになってしまったこと。『セールスマンの死』(アーサー・ミラー)を彷彿とさせます。
 佐知子と幼い娘の万里子は、単なる挿話というよりもむしろメインの存在感です。揺れる佐知子の心や、1人でふらふらとどこかへ行ってしまう万里子の存在、そして猫をめぐるエピソードも印象的。
 直接は言葉にせずに読者の感情を揺さぶる巧みさ。
 全体に「繰り返し」が、独特のリズムをつくっています。2回目は印象が変わったり、受け止め方が変わる。この変化こそ、著者の独特の世界です。静止画のように、大きな動きのない作品ながら、NHK「カズオ・イシグロ 文学白熱教室 完全版」で著者が言っていたように、こうした情景が著者の脳裏にはしっかり残っていて、それを言葉できちんと残そうとしたのだという点を再確認できました。全文

 

 

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小説を書いています。ライターもしています。ペンネームです。
カクヨム

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